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廣岡浅子という人は、上記ドラマの原案となった小説「土佐堀川」(古川智映子著、潮出版)にも描かれているように、女性実業家としてその手腕を遺憾なく発揮した人であります。しかし一方で、幼い頃学問を禁じられた体験から、女子教育への情熱もひとかたではなく、日本初の女子大創設にも力を尽くしました。また晩年キリスト教に入信してからは、毎夏別荘を開放して、若い女性を集めた合宿勉強会なども行っており、参加者には若き日の市川房枝や村岡花子らもいました。そんな廣岡が、多くの女性の人格を養い・育てる実践の場としてYWCAを生み出したいと強く願ったであろうことは想像に難くありません。創立準備委員長としての働きは、大阪YWCA50年史「年輪」にも記されていますが、残念ながら、創立翌年の1919年、病のため亡くなっています。
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その頃、大きな痛手は創立準備委員長として多くの労を捧げ、多大の影響を及ぼした廣岡浅子が召天したことである。……(中略)……大阪YWCAの準備が整い、よきスタートができたのもひとえに彼女の功績に負うところが多い。……(中略)……彼女が去って一か月後追悼の礼拝がYWCAでもたれた。それは大阪YWCA創立後、会員たちがひとつになって会合した最初のできごとだったと記されている。
(大阪YWCA50年史「年輪」より) |
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大阪YWCAは、廣岡浅子亡き後も、その時代時代にかなう素晴らしい人材を与えられ、現在もよりよい社会づくりに向けて活動を続けています。 |