2018年を表す漢字には「災」が選ばれた。天災も人災も多かった。
筆者が神学部で出会った友人に、稀有な者がいる。1995年の阪神淡路大震災では、神戸市の自宅周辺は倒壊家屋ばかりの数日間水が出ない生活、2011年には連れ合いの仕事先であった仙台在住で、幼児を抱えて3・11に遭遇した。その数年後に出張先で会える機会があり、筆者が大学での熊本地震の被災者支援の活動を伝えると「僅かだが資金の足しに」と託してくれた。被災経験者だからこそ他人事とは思えず、心動かされ、謙虚に、無理なくできる行動を起こしてくれた。
この活動は、2016年の熊本地震直後に、学生たちの声から誕生したボランティア団体で、「しのモン応援隊」(大学名「しののめ」+くまモン)と名付け、チャリティの企画や現地訪問も学生たちが内容を決め、教員も付き添うものだ。2018年7月の西日本豪雨災害では、大学所在の愛媛県内でも甚大な被害が出たため、1週間後の学内チャリティイベントの募金先を熊本から南予地域へと急遽切り替え、夏休みから有志で子どもたちとの遊びを通じて心のケアを行う活動を継続している。その活動で得た出会いも経験も大きい実りであった。
ひとたび災害が起こると、住居はおろか、ライフライン、仕事や子どもの学校なども今まで通りとはいかない。表面上は元通りの生活が取り戻せたと見える後も、災害時に失ったもの、負わざるを得なかったものもある。一方で、新たな出会いや、旧来の知人、友人との交わりがさらに密になることもある。人知を超えた出会いが与えられる不思議が確かに存在する。
復活とは、イエスにおいては弟子たちを含めたイエス共同体が新たな力を得ていくこと。被災地に生きる人々においては、単なる災害復旧ではなく、失望を受け入れられ、傷ついた心を慰め癒され、活き活きと自分らしく生きられること。それならば、被災しなければ復活できない? いつ降ってくるとも知れない天災を待つ? そんな馬鹿らしい話ではない。被災しなかった多くの人々は、何らかの関わり、交わりによって、自分たちが与えているようでかえって受け、学び、心を耕され、内面を成長させられ、ひいては自分自身の真の姿を見つけ、本来の姿を取り戻すことになる。
復活は小難しい神学ではない。背伸びしては続かず、籠っては繋がれない。追いかけているつもりのイエスの背中は遠い。しかし、この歩みこそが復活へと繋がるのではないだろうか。
水島祥子(松山東雲女子大学・松山東雲短期大学 宗教主事 )
|