5月6日から20日までケニアの首都ナイロビを拠点にして、南スーダンに入国した。首都ジュバは昨年7月の戦闘勃発以来、治安は最悪だった。そんな中で自衛隊はどのような活動をしていたのか、現地の人々とりわけ戦争で難民になった人々はどんな暮らしをしているのか、などについて取材した。
密林の中を白ナイル川が流れている。やがて緑の大地が住宅地に変わっていく。粗末なテントの群れが見える。難民キャンプのようだ。ケニア・ナイロビ発のオンボロ飛行機はガクガクと機体を揺すりながら首都ジュバの国際空港に着陸した。通訳デニスの四輪駆動車に乗り込み、ジュバの幹線道路を走る。「カメラ、ダウン!」デニスが叫ぶ。街にはSPLA兵士と警察の目が光っていて写真撮影がバレたら牢獄行きだ。なぜか?昨年7月にキール大統領が率いる政府軍とマシャル副大統領の反政府軍の戦闘が勃発し、ジュバの人々が大量虐殺された。南スーダン政府は「そんな虐殺の証拠」を撮影されたくない。見つかれば監獄行きだ。
ジュバ市内から車で約30分、ロロゴ地区、アチュリー族という少数民族の村を訪問した。英語を喋るピオさん(22歳)にインタビュー。
「昨年7月の戦闘で、村の女性はレイプされ男性は殺された。俺はウガンダに逃げた。しかし逃亡先にも避難民があふれ生活は悲惨だった。だから故郷に戻ってきた。ここではいつ戦闘が再発するかわからない。銃声が聞こえたら?子どもを小わきに抱え、ブッシュに逃げ込む毎日だよ」。ピオさんはカメラの前で恐怖の中の日常を訴えた。
ロロゴ地区からでこぼこ道を車で30分も行くと、そこは白ナイル川である。「あれが日本の作っていた橋だ」。デニスが指差す方向には大型重機とトラック、そしてJICAの看板。「昨年7月の戦闘で工事は中断、橋は完成していない」。未完成の橋からジュバ市内に向かってきれいに整地された道路が伸びている。「ジャパンロード(日本の道)」。デニスがつぶやく。そう、この道こそ自衛隊が作っていた道路なのだ。しかし道路は未舗装。7月の戦闘以来、工事がストップして中断されたまま放置されていたのだ。安倍首相は自衛隊を撤退させる理由として「一定の区切りがついた」と述べたが、「区切りはつかないまま放置した」のが実態だ。 ジュバ市内のコニョコニョ地区に巨大な避難民キャンプがある。その数7千人以上。キャンプで目立つのが女性と子ども。カメラを向けると、手で口に物を運ぶ仕草。「何か食べるものをちょうだい」。とあるテントの中で幼児が横たわっている。その顔に無数のハエ。幼児はハエを払う体力も残っていない。ただ目に涙をためるのみ。
自衛隊が撤退しても南スーダンの窮状は変わらない。人道支援は待ったなしだ。
西谷文和(にしたに ふみかず)(フリージャーナリスト、イラクの子どもを救う会代表)
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