大阪YWCAは、女性のエンパワメント、子育て支援、またNGO/NPOリーダーの育成、国際交流等の社会貢献活動をしています。

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大阪YWCA機関紙(2015年9月号) アーカイブ一覧へ
大阪YWCAでは機関紙を年8回発行しています。
抜粋して内容をご紹介します。
新しい時代を切り開く〜女性教育の先駆者 廣岡浅子〜(1849年〜1919年)
東南アジア日本語事情 パートU ベトナムで高まる日本留学熱
女性の権利は人権である〜北京女性会議から20年〜
YWの窓 戦後70年に寄せて
山崎知行医師 講演会 フクシマの今を知る
大阪YWCA東日本大震災被災者支援活動 大阪わいわいステイプログラム

新しい時代を切り開く〜女性教育の先駆者 廣岡浅子〜(1849年〜1919年)

教書採択への政治勢力の介入

  この秋NHK朝の連続テビ小説『あさが来た』に登場するヒロインは、大阪YWCA設立の立役者廣岡浅子がモデルである。
 NHK朝ドラは、新進女優の登竜門だと聞いた。古くは『おはなはん』樫山文枝(1966)、『水色の時』、大竹しのぶ(1975)、『君の名は』鈴木京香(1991)。最近では『花子とアン』の吉高由里子も記憶に新しい。
 NHK朝ドラは生き生きとした女性の存在が一日の原動力をもたらす国民的な番組の一つだろう。ヒロインは実在した女性をモデルにしており、すばらしい女性たちの存在に改めて気付かされることも楽しみの一つだ。

  この秋登場する廣岡浅子は、20歳の時に明治維新という時代の一大変革に遭遇し、従来のしきたりでは立ち行かない社会の荒波を果敢に生き抜いたたくましい女性だったという。『女に学は不要』と決めつけられた時代に自ら学ぶ意欲を捨てず、今日の女性の社会進出を先取りした存在であったようだ。
 長い鎖国時代の終焉で海外との交流を始めた日本は、社会の枠組みの中に女性の存在を位置づける知恵をまだ持たなかったのだろう。岩倉使節団は日本で最初の女子留学生を欧米へ送り込み、大山捨松、津田梅子や河井道といった教養と個性のある女性たちが活躍する素地が生まれたことも事実だ。それでも女性が社会的に自立した生き方が出来る時代の到来にはまだまだ長い道のりがあった。
 そんな中でも浅子のはつらつかつ毅然とした生き方は、古い時代の殻を打ち砕く力を持っていたようだ。

  実業家としての足跡は伝えられるが、晩年の彼女が情熱をそそいだのが新しい時代を切り開く女性の教育、そしてその原動力となったキリスト教信仰だった。
 1905(明治38)年に東京で創設されたYWCAの潮流は各地に活動を芽生えさせ、1917(大正6)年にいたって大阪でも機が熟した。その創立時の委員長を務めたのが廣岡浅子である。創立当時から6つのバイブルクラス、4つの英語クラス、社会状況研究、讃美歌練習、スポーツ、日曜学校、工場訪問、社交の集まり、晩祷会(祈りの会)など多岐にわたる活動が展開していたという。女性が輝き始めた時代にいた廣岡浅子。今一度『あさが来た』の彼女から今日の元気をいただくとしよう。

芹野与幸((株)一粒社ヴォーリズ建築事務所広報室長 )

東南アジア日本語事情 パートU ベトナムで高まる日本留学熱

 大阪YWCA専門学校が提携しているドンズー日本語学校は、1959年に国費留学生として来日したグエン・ドック・ホーエ氏が、東京でベトナム私費留学生のための塾を開いたのがはじまり。その経験を活かし、1991年、ホーチミン市に日本語学校を設立。学校名は、日本に若者を送り出して学ばせようという、20世紀初頭の民族主義運動「東遊(ドンズー)運動」にちなむ。
 在籍6000名、教員50名。現在までに1680名の学生を日本に送り出している。

ドンズー日本語学校出身の留学生2人に話を聞きました。

日本留学のきっかけは?
タオ ベトナムで合気道を習っていました。日本文化が好きで日本へ留学したいと思いました。
ニョン 両親の勧めです。母の友人の子どもが日本に留学していました。それで私にも日本で勉強してほしいと。

ドンズー日本語学校の寮生活は厳しいと聞きましたが? 
ニョン 朝5時前に起き、運動と掃除を1時間半。朝食の後夜11時の就寝まで勉強中心の厳しいスケジュールでした。 

日本の生活で困った事や戸惑ったことは?
ニョン 日本人の家で飲み物など出してもらった時、何と言えば良いのか、また、いただくタイミングがわからず戸惑いました。ベトナムではあまり気を遣わないので。
 困った事は、地下鉄に乗り慣れていないので、電車酔いすることです。
タオ私はお寿司屋さんでアルバイトをしているのですが、料理の名前を覚えるのが大変。また、目上の人にどのような言葉を使うべきか分からず困ることがあります。 

休日は何をしますか?
ニョン 近所の教会へ行き、色々な活動に参加します。
タオ 大阪大学でベトナム語を学ぶ日本の学生達と、お互いの言語を教え合う活動に参加しています。日本人以外にも色々な国の友達ができました。

最後に、将来について聞かせて下さい。
タオ 大学もしくは専門学校へ進学し、日本の企業で財務・経理の仕事がしたいと考えています。
ニョン 私は大学へ進学し薬学を学びたいです。卒業後は日本の企業に就職したいと思っています。

(聞き手 編集部)

サイゴンで出会った女性たち
遠藤亜矢子さん

  G・A・コンサルタンツグループの「ソトチカ」は、ベトナムに進出する日本企業のサポートをする会社。責任者として運営、管理にあたっているのが大阪出身の遠藤亜矢子さんです。2014年11月に修成建設専門学校と大阪YWCA専門学校が学校間交流のプログラムでホーチミン市(旧称サイゴン)を訪問した際、交流先として、ホーチミン市技術師範大学を選定してくれたのが遠藤さんたちでした。

  大阪外国語大学(現大阪大学)在学中に1年間ホーチミン市に留学。「ベトナムの良いところ、悪いところを知って俄然関心が高まった」と言います。卒業後は旅行会社に就職するも、「ベトナム熱」が再発。ベトナム・日本の合弁ベンチャー企業に転職後、ベトナムに軸足を置いてビジネスを展開したいと、現在のG・A・コンサルタンツに入社。
そんな遠藤さんの目に映る、ホーチミン市の人々と大阪人の共通点は、「『ルールよりも気持ち』優先。それが「活気」や「愛嬌」に繋がっているのでしょうけど(笑)。」

 今後どんな企業がベトナムに進出するか伺うと、「中高所得者層やベトナム企業をターゲットにモノやサービスを売る企業が増えるのではないでしょうか。若年層、乳幼児の割合が高いので、若者向けの娯楽関連、食品関連、教育サービス、電気・通信機器などの企業が増えると思います。」

(職員 白川 啓子)

女性の権利は人権である〜北京女性会議から20年〜

 女性差別撤廃条約に日本が批准して今年で30年。1995年に北京で開催された「第4回世界女性会議」において、ジェンダーの平等、開発、平和を目標に女性のエンパワメントの課題を定めた北京宣言と行動綱領が採択されて20年が過ぎました。北京宣言の中で謳われている「女性の権利は人権である」は、きっぱりとして力強く、困難を抱える女性へのエールのように感じます。
 北京宣言及び行動綱領を念頭に置き、国連女性差別撤廃委員会は各国に報告と実施を求めており、日本政府に対しても数々の勧告、懸念を表明してきました。
 その勧告に応じた取り組みの一例である「パープルダイヤル」は、内閣府が2011年2月から始めた、配偶者からの暴力及び性暴力被害の24時間無料電話相談でした。
 この支援事業の事業報告から、相談できる人がおらず、孤立する当事者の姿が浮かんできます。暴力の被害者は心に受けた傷から精神疾患に悩むケースが多く、心身を回復する過程で心のケアが重要です。
 女性の権利は人権であることが宣言されて20年がたつというのに、女性が我慢することで世の中がうまくいくという考えが、いまだ日本社会では根強いです。支配・被支配関係の中で悪用されたジェンダーの固定観念から離れ、新たに対等な人間関係を構築していく過程で被害者に寄り添い、じっくり話を聴く、必要に応じたサポートをする等、きめこまやかな対応が求められています。設立10周年を迎える大阪YWCAステップハウスを含め、安心・安全な場所としてYWCAの担う役割があると考えます。

ステップハウスとは・・・?
DV被害にあった女性とその子どもが緊急一時避難所を出た後、自立回復にむけて中長期的に支援をうけるための施設のこと。

(会員 勝 美恵)

YWの窓 戦後70年に寄せて

  1925年年生まれで敗戦が成人の年だった私は、岡山市でB29の空爆罹災など自分の中だけのことと思っていた。1944年10月21日の「神宮外苑競技場での出陣学徒壮行会」がテレビで放映された時、一瞬硬直してしまった。私は送る側の一女子学生として、この場に居たのである。
 どんよりと垂れ込めた暗い空、冷たい雨の中、広いグラウンドの指定された場所に婦人団体などと共に並んでいた。重苦しい空気の下で式典が始まり、はるか中央の壇上から、東條首相の言葉がマイクで流れた。フィールドには、これから戦地へ向かうという現実に向き合った、私たちと同年代の男子学生。黒っぽい詰め襟の学生服に角帽、脚にゲートルを巻いた不動姿勢の整列群である。中央で繰りひろげられた様子は一切わからないまま、式典は終り、音楽に合わせて分列行進、出陣学生は隊列を整え、銃を肩に歩調をとり、グラウンドに沿って、私たちの前を通り、会場を出て行く。水滴りなどものかは次々に隊列が過ぎて行くのを、私たちはただ起立して、何とも云えない悲痛な思いを胸一杯に、無事を祈る目を精一杯に向けて、見送るよりほかどうしようもなかった。この時の思いは、胸の底にずしりと重く、年を経てもぬぐい去ることは出来ない。
 戦争は絶対にすべきでない。平和な世界を心から祈り願うのみである。

 (会員 長塩 滋子)

山崎知行医師 講演会 フクシマの今を知る

 7月25日、福島県会津若松放射能情報センターを基点に2012年から健康相談を続けている山崎知行医師の講演会を、大阪YWCAで開催した。
 なぜ「福島」ではなく「フクシマ」なのか。それはヒロシマ、ナガサキ、チェルノブイリにフクシマがつながっているという山崎医師の思いからだ。その言葉には、チェルノブイリ事故後をつぶさに見て来た専門家としての重みがある。

 健康相談の内容は鼻血、咳、疲れやすい等があるが、相談者には言葉を選んで伝えなければならない。事実を伝えることの難しさを常に感じている。
 福島では放射能のことを気軽に話題にできない現実がある。また、終わりなき放射能との戦いに、経済的にも健康面でも不安をかかえ、心身不調による関連死の方も増えている。それなのに復興、復興と言われ、放射線管理区域でも生活せざるを得ない人がいる。  
 年間被曝限度は、国際基準では1ミリシーベルトだが、日本では20ミリシーベルトで帰還を促す。福島での空間線量は減っているが土壌汚染は残っているというのに。政府は人間の生命、健康を第一に考えているのかと疑問に思う。
 チェルノブイリでも、事故の4年後から甲状腺ガンが増えている。事故後つくられた、ベラルーシの「希望21」という保養施設で子ども達は毎年24日間を過ごす。たとえ短い期間であっても放射線の少ない地域で過ごす事は、子ども達の心身にとって重要だ。大阪YWCAの保養プログラム「わいわいステイ」は是非続けて欲しい。

 (文責 編集部)

大阪YWCA東日本大震災被災者支援活動 大阪わいわいステイプログラム

 今年で5年目となる保養プログラム「わいわいステイプログラム」は、福島から11名の小学生を迎えて行われました。受付開始後1週間で定員に達し、依然ニーズが高いことを感じました。
 1日目は千里子育て支援委員会の「真夏の夜のおはなし会」。2日目は講座部の「子どもミニスクール」、最後はこども部「夏キャンプ」と大阪Yの各部署が協力して、わいわいステイの子ども達を迎えました。
 3日目はわいわいステイメンバーだけで大阪観光。今年創立100周年の天王寺動物園では、ホッキョクグマの親子はじめ、動物たちもメンバーたちも暑さで少々バテぎみでしたが、自分たちでどう回るか、何を見るか色々工夫して考えました。昼食は串カツ。二度漬け禁止のルールもきちんと守り、キャベツももりもり食べました。午後は通天閣に登りました。商店街のあちこちにいたビリケンさんに興味津々でしたが、ここでは本家本元のビリケンさんとご対面。足の裏を触って幸運を祈りました。通天閣の展望台から、あべのハルカス、大阪城、午前中に行った動物園、大阪の街並みを一望。一番テンションがあがったのはお土産コーナー!各階にある誘惑の数々に頭を悩ませながらも、楽しく買い物をしていました。

 (被災者支援担当)
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