創立100年を迎える大阪YWCAに希望を抱いて
神さまの恵みと導かれた会員の奉仕によって、大阪YWCAが創立100年を迎えられることを心からお慶び申し上げます。そして、100年の間、キリスト教を基盤とした全人格を育みつつ、その時々に噴き出していた女子を取り巻く社会の課題を解決しようとする働きと営みを積み重ねられたことに尊厳の気持ちを表します。
1918年4月7日に開催した大阪キリスト教女子青年大会は、事実上の大阪YWCAの発会式でありました。天王寺公会堂に集まった1000名以上の女子の皆さんは、優しさと美しさを身に纏い、凛とした姿を保っておられたと想像できるのです。このような様子が目に浮かぶのは、この発会式の司会が、ウヰルミナ女学校(現在の大阪女学院)教員の西野貞子先生であったからです。当時、西野貞子先生は、米国YWCA修養会(1915年6月/ペンシルバニア)に派遣され、大阪YWCA創立委員として活躍されていましたし、ニューヨーク神学校で3年間の学びを終えて、ウヰルミナ女学校のキリスト教教育の中心的存在でありました。西野先生は、その足跡、残されている文章、卒業生のお話、伝説的な話から推測して、キリスト者としての厳しい生き方、真実を見通す鋭い眼差し、女子教育に全身全霊を懸けておられた凛とした姿勢を示されたはずです。そして、この発会式に参加した女子は、会を進める西野先生の姿に導かれ、美しく賛美し、聖書の言葉に心を寄せて、祈りを捧げ、広岡浅子女史と河井道子女史の講演に全霊を傾けて聴いていたと想えるのです。
また、ウヰルミナ女学校は、この発会式以前の1907年に学生YWCAを組織し、1936年の学生YWCAの報告によると、全校生徒約1000名が会員として活動しています。今なお継承されて、クラブ活動の一環として活動を展開しています。
さらに、大阪YWCAは、1937年に日本で最初の夜間女学校「扇町夜間女学校」を開校、後に「恵星女子高等学校」に改称、大阪女学院の校内に移転して、「大阪女学院第二高等学校」として、1974年まで大阪女学院が運営を担ってきました。
このように、大阪YWCAの発会から、人を通して、大阪女学院と深い関わりがあり、女性が生きるより良い道を探し求めてきた歴史が存在しています。これまで以上に、聖書に示されているイエスさまの生き方に学び、性別の役割にとらわれずに可能性に挑戦し、女性の尊厳の確立に向かい、より良い社会を築くことに歩みを共にしてくださることを願います。
なお、私は、大阪YMCAの働き人として奉仕してきた中で、YWCAの皆さまと関わる多様な機会が与えられ、YWCAが創り出す「主の食卓」が最も素敵なものであることを覚えています。そして、個人的な希望として、これまで以上に「多くの人々と共に、主の食卓を囲むこと」に最も優れたA(アソーシエーション)であることを、活動を通して証し続けてくださることを祈り、望んでいます。
(2016年8月3日) |