佛教大学教授・若尾典子さんは、憲法9条と憲法24条の画期的な意義と、両者の深い結びつきを論じてきた憲法学者。女性と子どもの人権保障のための憲法活用を語った。
自己決定権を保障する支援を
社会的に問題となっている貧困―若者・女性・高齢者の貧困、そして「子どもの貧困」―を自己責任に転嫁しようとする今の考え方に異議がある。「自己責任による自己決定強要」ではなくて、今の日本社会で生きづらさを抱える人への支援として、「自己決定権保障」を考えたい。その権利は憲法で保障されている。家族生活における個人の尊厳と両性の平等(24条)、国民の生存権(25条)、国民の教育権(26条)などである。
個人の尊厳に裏打ちされた両性の平等
自民党による憲法改正草案24条には「家族保護」条項がある。ここで言う「家族」とは模範家族である。モデルを作ると、そこから逸脱した家族は生きていけない。この改正条項は家族の自己責任論につながっていくのではないか。
憲法24条は、改正草案24条1項のように家族を「基礎的な単位」とするのではなく、家族のなかに個人の尊厳と両性の平等を確立することを提起するという画期的意義をもつ。両性の平等とは、男性と平等だったらよいというだけではない。もっと深い意味がある。個人の尊厳に裏打ちされた平等という、憲法の呼びかけを吟味してほしい。
一人ひとりが豊かに生きられる平和な社会を
憲法12条には「自由及び権利は、国民の不断の努力によって」と書かれているが、「不断」を「普段」とも読めないか。憲法の呼びかけに応じ、困った時は「助けて」と言う、その声を聞く、「助けて」と言える場をつくる、そしてその声を政治に届けるという、私たちの不断(普段)の努力が必要だ。
「世界の人々の平和的生存権」を確認する憲法前文は画期的である。そこには、一人ひとりが社会的にも家族的にも豊かに生きられる社会を創りたいという願いがあり、憲法制定時も、戦後も、人々はその希望を受けとめてきたのではないだろうか。
(文責・編集部)
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