福島原発事故から3年は「辻褄が合わない日々」が続いています。
2014年1月19日、県内トップニュースは、3号機原子炉建屋1階で発見された高濃度汚染水でした。汚染水の放射線量数値は今も日々新たに報告されますが、この時点で1リットルあたり2400万ベクレルのβ線を出す放射性物質は最高数値でした。人間は立ち入れず、ロボットによる測定。各原子炉建屋には1日約100トンの水が流れていますが、東電は、汚染水は外部へ出ていないと発表。しかし、護岸まではたったの40メートルの距離。
その発表は信じがたく怒りを持ったままテレビ画面を見ていると、次のニュースは、福島県が東京五輪に向けて検討し始めた32関連事業のこと。佐藤雄平県知事は「全世界に福島復興0の姿を発信できる機会として対応したい」とコメント。県内聖火リレーや日本選手団結団式などの誘致、国外選手歓迎の伝統文化披露などの準備が進みます。さらに、原発事故現場作業員の宿舎プレハブが立つJビレッジを、2018年には本来のサッカー施設に戻し事前合宿ができるようにすると…。緊張を強いる厳しく危険な作業が続く現実が20キロ先にありながら、五輪の華やかさで覆い隠したい思惑が見えてきます。
「子どもが戻らなければ復興はない」と原発事故サイト30キロ圏内の双葉郡に県立中高一貫校の設置も始まります。これに先立ち全県中学1・2年生37000人対象にアンケートが取られ745人が関心ありと答えたのです。県は一定のニーズがあったとし、3億円の予算をつけ2019年を目指し、土地造成、グランドや校舎整備を始めます。
高い放射線量が測定され、もはや子育てできないと郡山市から会津若松市へ自主避難した家族が、この3月会津若松市から新潟市に移住しました。会津若松市にも汚染スポットがあるにもかかわらず、観光で復興を目指す同市には除染計画は当初からなく、さらに住民票を移動しない自主避難の小中学生は市立小中校転入を認めないなど、厳しい対応が続きました。「除染すればきっと安心して住める会津で子育てがしたかった」と涙を流す母親を前に、一家族を幸せにできなかった自分の無力さと辻褄が合わない悔しい現実を噛みしめました。福島を愛している家族が生命を守るために福島を離れる…。これが原発事故の向こうに見える真実なのです。
(片岡 輝美 会津放射能情報センター代表)
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