ドイツで生まれ、父親は反ナチ運動に加わっていた。第2次世界大戦中だったが父はユーモアを忘れなかった。ユーモアによるあたたかい心、思いやりは父から学んだ。戦争中の暗い時代だったが子どもたちとの時間を大切にしていた。
小学校で校長からナチの指導者養成学校へ推薦されたが、ナチの独裁的体制を支持できなかったので断った。そのため孤立したが新約聖書を読み、図書館で日本に関する本と出会う。
長崎の26聖人殉教者の伝記の中で自分と同じ年12才で殉教したルドヴィコ・茨木を知る。刑場へ引かれていくルドヴィコに1人の武士が「信仰を捨てなさい。捨てれば許してもらってあげる」と言うと、彼は「あなたもクリスチャンになりなさい。一緒に天国へ行きましょう」と答えた。立派な人を生んだ日本に行きたいと思った。
戦争中は、空襲で防空壕の中夜を過ごすことがあり、そんな時母は子どもたちを集め、子どもの安全のため祈りを唱えていた。隣の家が焼夷弾で焼かれ仲良しだった同級生を含む一家が焼死した。戦争の不条理を感じた。
ドイツの敗戦で連合軍が町へやってきた時、白旗をもって家の前に立っていた祖父は連合軍の兵士に射殺されてしまった。怒りと絶望。でも聖書に「敵を愛しなさい」とある。自分はクリスチャンである。信仰は自分で選ばなければいけない。苦しみながら敵を受け入れる決意をする。ドイツの諺に、苦しい体験をした時、他の人と分かち合うことで半分。共に喜ぶと2倍の喜び」とある。だから人との出会い、人との交わりはいやしのために大切である。
人生は喪失体験の連続だ。中年期に起こる若い時の夢の喪失、死別、定年退職等々。
喪失者はユーモアを失う。どうして苦しまないといけないのかと思う。どうしても変えられないことがあるが変えられることもある。それは自分の心を変えることだが、大きな苦しみはコントロールできない。そのようなことが人生にはあるが、対応することはできる。
自分の失敗を認めて共に笑う。広い視野と心のゆとりは自分の人間性を豊かにするし、健康管理のためユーモアは大切だ。自分の母親は子どもたちに笑いという愛を残し、最後まで人間らしい生き方であり死に方だった。 |