1票の格差
今夏の参議院議員選挙で、鳥取県の一人1票に対し大阪府は0.27票、北海道に至っては0.21票の価値しか持たない。これは政治に対する1票の影響力に5倍の格差があることを意味する。1票の不平等は、個人の尊重・尊厳の問題であり、一人1票の実現は民主主義に不可欠な前提条件である。各地の高裁で違憲・選挙無効判決が出されているが実現はほど遠く、このような中で憲法改正を議論すること自体に正当性がなく、国民主権の国の憲法改正として許されないことだ。
憲法とは
権力行使に憲法で歯止めをかけるという考え方を立憲主義と言い、国王の横暴に歯止めをかけるために生まれた。民主主義社会においては多数派による権力行使に歯止めをかけるという意味を持つ。多数意見が常に正しいわけではないからだ。一般の法律が国民の自由を制限して社会の秩序を維持するための、国民に対する歯止めであるのに対し、憲法は、国家権力を制限して国民の権利・自由を守るための法であって、あくまでも人権保障が目的だ。
自民党改憲草案の危険性
ところが、自民党改憲草案を仔細に読み進むと、現行の3つの義務(納税、教育、勤労)に加え、国防、家族の助け合いなど新たに10の義務を国民に課し、憲法を国民を支配する道具に変質させてしまっている。また、憲法尊重擁護の義務は天皇・政治家にあるとの定め(99条)を、国民にも尊重義務があるとし、逆に天皇を義務を負う者から外している。国を縛る憲法から国民を縛る憲法へ変えようとしていることは明らかだ。
日本国憲法の根本価値は、「すべて国民は個人として尊重される」(13条)にあるが、これも自民党案では「個人」から抽象的な「人」に替えられている。
そしてなにより9条の改変。平和的生存権、戦力不保持、交戦権否認を削除し、国防軍創設を挿入。国際協力の名の下に世界で武力行使が可能になる。市民社会は殺人を目的とする組織を抱えることとなり、私たちの生活はまったく異質のものとなるであろう。
また、改正要件を緩和するための96条改訂は、政権与党だけの強行採決による発議の可能性を暗示している。
想像してみよう
憲法を理解する上で重要なこと、それは想像力だ。多数派(強者)から少数派(弱者)へのイマジネーション、人間には強いところも弱いところもあるというイマジネーションだが、改悪を阻止する上で重要なのも想像力だ。自民党草案実現によって私たちの生活はどう変わるのか、権力の危険性、戦争の悲惨さ等々、具体的に想像してみてほしい。今を生きる者として、憲法を知ってしまった者として、今できることをしよう。
(文責・編集部)
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