日本政府・国会・司法の対応
1990年、初めて国会で「慰安婦」制度の責任を追及された際、日本政府は軍や政府の関与を否定し「民間業者が連れ歩いた」と答弁した。しかし1992年、軍の関与を示す公文書が発見され、政府も独自の調査を実施。その結果も踏まえ、日本軍の関与と強制性を認める談話を発表した(河野官房長官談話)。それでも法的責任は「サンフランシスコ条約や、日韓をはじめとする二国間協定で決着済み」と主張し、一方で「道義的責任を果たす」として1995年に「女性のためのアジア平和国民基金」を設置。民間からの募金による「償い金」を支給し、政府資金による医療福祉事業を開始した。しかし、「国民基金」は国家の責任を回避するものであるとして、被害者の多くは受け取りを拒否し、受け取った被害者との間に分断を生みだすこととなった。
2001年には、民主党・社民党・共産党の3党が「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法案」を共同提案し、以来8回の提出と廃案を繰り返した。
この間「慰安婦」被害者たちは日本政府を相手に次々と損害賠償請求訴訟を起こし、日本の裁判所で争われたが、2010年までにすべての訴訟が最高裁で棄却され、司法による救済手段は尽きてしまった。
国内外からの後押し
このような日本の無責任な対応に対して、国際社会の目は厳しさを増している。2006年のアメリカ下院決議を皮切りに、カナダ、オランダ、EU、韓国、台湾などの議会が日本政府に謝罪や補償を求める決議を次々に採択し、国連の人権機関も度重なる勧告を行っている。とりわけ2008年の自由権規約委員会の所見は,法的責任の受諾、尊厳を回復するような方法での謝罪、加害者の訴追、補償のための立法・行政上の措置、教育および否定発言の反駁と制裁といった具体的なものだった。
日本国内の地方議会も「意見書」という形で声を上げ始めた。2008年3月宝塚市議会が日本政府に対して「慰安婦」問題に誠実に対応するよう求める意見書を全会一致で可決、それ以降、地方議会における意見書可決及び決議採択は39を数える(2012年9月現在)。
全ての女性の尊厳のために
「慰安婦」問題の支援活動が国内外に広がった背景には、紛争下の性暴力が依然として続いているという現実と、DVや性的虐待などの女性に対するあらゆる暴力とも同根だという気付きがある。筆舌に尽くしがたい暴力は、私たち全ての女性への侮辱に外ならない。被害女性の尊厳を回復するための連帯は、全ての女性の尊厳につながる。
政府はかたくなに「解決済み」に固執する。政府が調査して認めて謝罪した事実を、公的な立場にある政治家が否定する。大阪市の橋下市長は「証拠を示してもらいたい」と言うがすでに証拠はある。それを否定するなら、その根拠を示す義務があるのは橋下市長の方だ。
戦争中に行われた残虐な行為の責任はないかもしれない。しかし歴史的事実をねじまげるような発言が公然と語られる風潮に対しての責任は確かにある。
元日本軍「慰安婦」の女性たちが暮らす「ナヌムの家」は8月末、「慰安婦を強制動員した証拠はない」などの相次ぐ発言を受け、日本の政治家724人に招待状を送ると発表した。「ナヌムの家に来て、歴史の真実を見て、共に食事をして話を聞いてほしい」と。真摯に受け止める政治家が一人でもいてくれることを願う。
*歴史に関する部分は、以下の記事を参考にまとめました。
北京JAC(世界女性会議ロビイング・ネットワーク)第163号掲載「今こそ『慰安婦問題』の解決を!」
渡辺美奈さん(アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」事務局長)
文責編集部
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