私は1960年代から原子力発電の危険性を指摘し続け、大学や学会では異端児扱いされてきたので、日本に54基の原発をつくってきた責任は自分にはないと断言できる。しかし、専門家として事故を防ぐためにもっとできることがあったのではないか、と思うと申し訳ない気分になる。
収束宣言などとんでもない
事故当事者三原則「隠すな、ウソつくな、過小評価するな」が国民の生命、生活を守るためにとても大切なことだ。にもかかわらず、政府はどれ一つ実行していない。一刻も早く事故の収束宣言を出そうとしているが、とんでもない。未だに内部を確認することもできない状態で、事故を最終的に収束させ処分するには50年かかると覚悟しなければならない。さらに、周辺の汚染はもっと長期的な影響をもたらす。この事故で放出されたセシウム137は広島原爆の500倍、その半減期は30年、放射線レベルが福島で10分の1に下がるには100年かかる。
放射線被害を最小に
その中で放射線の被害を最小化するにはどうするか?
(1)外部被曝を減らすには放射線を出すものを除去し続ける。降り積もったセシウム137を含む土を、いかに広大な地域でも削り続けるしかない。チェルノブイリの隣・ベラルーシ共和国では、今も国家予算の20%が放射能対策費だ。
(2)内部被曝を減らすには食品の放射能汚染を規制し続ける。どこまでが安全なのかということは専門家でも意見が分かれる所であるが、とにかく言える事は「放射線は浴びないにこしたことはない」ということだ。
私たちが学ぶべき事は何か
原発開発は、冷戦下の核軍拡競争と深い結びつきの中で進められてきた。アメリカの対日エネルギー政策に始まり、政府、資本、官僚、御用学者、マスコミ、地方自治体、推進派の住民の利害がからまりあって。この構図を解消し、原発に頼らない社会に明確に舵を切る事が大切だ。原発が何の利潤も生み出さないとはっきり分かれば、産業界も原発を推進する理由がなくなる。自然エネルギーの市場ができれば、科学技術界、産業界が共に進んでいける。
山口県上関(かみのせき)原発の地元、祝島(いわいしま)の農民が知事選挙の投票率が30%台だったことを嘆いていた。日本人は主権者としての主体性を発揮していないのではないかと。放射能を怖がっているだけでは原発はなくならない。原発を許してきた社会を変えようという意識が原発のない未来をつくる。
(文責 編集部)
安斎 育郎(立命館大学名誉教授、立命館大学国際平和ミュージアム名誉館長、安斎科学・平和事務所所長)
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