大阪YWCAは、女性のエンパワメント、子育て支援、またNGO/NPOリーダーの育成、国際交流等の社会貢献活動をしています。

大阪YWCA
JAPANESE ENGLISH
TOP PAGE YWCAについて Q&A お問い合せ 交通アクセス サイトマップ
イベントカレンダー 女性支援 子ども・子育て 平和と環境 リーダーシップ養成 国際交流 その他活動
TOP PAGE > YWCAについて > ニュースレター > アーカイブ一覧 > ニュースレター11.11月号
YWCAについて
YWCAについて トップ
大阪YWCAの歴史・沿革
グループ活動(梅田)
グループ活動(千里)
出版物
ニュースレター
情報公開
ボランティア募集
支援のお願い
会員になる
大阪YWCAとは
大阪YWCA機関紙(2011年11月号) アーカイブ一覧へ
大阪YWCAでは機関紙を年9回(4/5、12/1、8/9月が合併号)毎月1日発行しています。
抜粋して内容をご紹介します。
未来は子どもたちのために
YWCAからはばたいた女性たち
YWの窓 届け出なし 国会前の一人デモ
専門学校あれこれ 「日本語能力試験準備コース」で勉強しています!
社会福祉法人大阪YWCA大宮保育園の新たな取り組み〜旭区から千里へお出かけ保育
ここにYあり(22) 浦和YWCA

未来は子どもたちのために

 「未来の福島こども基金」こんな名前の団体を立ち上げることになろうとは!
 はじまりは1991年の広河隆一チェルノブイリ写真展から。チェルノブイリ事故後、急激に高まった原発・放射能への関心に応えるため、また、チェルノブイリの状況を知らせて救援を訴えるため、写真展の開催を埼玉の地から全国に呼びかけた。その半年後、チェルノブイリ子ども基金が都内に誕生。医薬品や医療機器を直接現地に届け、ベラルーシやウクライナの保養支援をしたり、里親支援を続けてきた。そしてのべ12年間を事務局責任者として過ごした。
 福島原発震災が起きた今、安全神話にだまされていたと気づいた人たちが動き出している。チェルノブイリ事故から1年もたって気づかされた私も、同じだった。
 当時、日本に原発が30数基もあるなんて知らなかった。新潟出身でいながら、柏崎刈羽原発のことも知らなかった。学校では原発のことを習った記憶がない。日常の話題の中で原発の話が出てきたこともない。でも、柏崎刈羽原発の近くに住んでいた人たちの一部は強く建設に反対し続けてきた。当事者だけが心配しあとは他人事だったのだ。
 チェルノブイリ事故後、広瀬隆さん、高木仁三郎さん、広河隆一さんらによって、原発の恐ろしさを知らされ、反原発運動は草の根的に広がった。しかし、その後さまざまな環境問題が起き、市民運動は拡散していく。
 私自身は救援活動に没頭すればするほど、反原発運動に関わることが時間的に難しく、日本の原発についての危機感は次第に薄れていった。
 チェルノブイリのことは、事故から25年が経過したとはいえ、終わりのない活動だ。まだまだ国際社会の支援は必要。若い世代にこの活動を引き継いでいきたいという思いが強まっていた矢先の3・11だった。
 チェルノブイリ救援の活動経験を生かして、とはなんと悲しいことだろう。残念でならない。せめて少しでもチェルノブイリから学ばなくては、チェルノブイリの被災者も福島の被災者も救われない。
 広河さんが最初にチェルノブイリ被災地に救援物資を運んだ中の一つが食品の放射能測定器だ。それは被災地取材に先立ち、ドイツを訪問した折、食品を手に、市民放射能測定所を訪ねる市民の姿を目の当たりにしたからだった。
 今、福島では避難すべき高汚染の地で、人々が暮らしている。やむを得ず暮らしている人たち、特に子どもや妊婦にはより安全な食品を選んで、内部被曝を少しでも避けてほしい。そう願って現地に測定器を贈る寄付金を募る活動を行っている。

募金ご協力のお願い
郵便振替
00190-0-496774
口座名 チェルノブイリから日本を考える会

※ この募金は未来の福島こども基金の活動のために用いられます。

向井 雪子 (「チェルノブイリ子ども基金」代表理事、前事務局長
「未来の福島こども基金」世話人)

YWCAからはばたいた女性たち

 YWCAは1918年の創立以来、よりよい社会の実現のために働く人、とりわけ女性のリーダーシップの養成に力を入れてきました。今号では、かつて大阪YWCA専門学校で学んだ4人の女性に、YWCAで学んだことや今の思いを伺います。
独立を思い立たせたYWCA
リー・ヤマネ・清実(セクレタリアルアーツ学科卒、中小企業診断士、
パーソナルアシスタントギャラリーLee’s代表)
 1989年1月勤めてきた会社を辞め、自分に一年の休暇を与えることにしました。その矢先に目にとまったのが大阪YWCAの新聞広告。社会経験ある人を対象としたシニアセクレタリーコース開講の案内。秘書に興味はありませんでしたが、英語の勉強になればと入学したのでした。
 全日一年制のコースを修了し、外資系企業へ再就職したのが1990年。いい会社でしたが、日本の会社も外資も結局勤めている限りは自分の可能性は拓かれない。そういう思いがふつふつと沸いてきた頃、にわかに甦った言葉と場面がわたしを動かしました。「どうして君たち就職することばかり考えるの? どうして自分でマネジメントすることを考えない?」。大阪YWCAでのある日のクラス、ニュージーランド人の先生が素朴に問いかけてきたのです。当時は反発しましたが、一年も経って、その問いがわたしに響いたのでした。1989年1月勤めてきた会社を辞め、自分に一年の休暇を与えることにしました。その矢先に目にとまったのが大阪YWCAの新聞広告。社会経験ある人を対象としたシニアセクレタリーコース開講の案内。秘書に興味はありませんでしたが、英語の勉強になればと入学したのでした。  全日一年制のコースを修了し、外資系企業へ再就職したのが1990年。いい会社でしたが、日本の会社も外資も結局勤めている限りは自分の可能性は拓かれない。そういう思いがふつふつと沸いてきた頃、にわかに甦った言葉と場面がわたしを動かしました。「どうして君たち就職することばかり考えるの? どうして自分でマネジメントすることを考えない?」。大阪YWCAでのある日のクラス、ニュージーランド人の先生が素朴に問いかけてきたのです。当時は反発しましたが、一年も経って、その問いがわたしに響いたのでした。
 1991年3月に独立。今年で満20年が過ぎました。中小企業診断士というより、パーソナル・アシスタントという独自の概念を前面に、営利と非営利の垣根をこえ、企業・起業家の経営企画業務をアシストしています。ふりかえって、しみじみ独立してよかったと思う昨今です。独立して仕事をするうちに徐々に自分自身の本質が見えてきました。もし独立しなければ気づかず一生を過ごしたかもしれません。あの素朴な問いかけがここに至らしめたのです。私自身の例からも、誰かが誰かの人生の大きなきっかけをつくっている、思いもよらず人の人生を拓いている。そういう可能性がいつも私たちの間にはあるようです。
たくさんの人との出会い
瀬良香織(国際関係開発学科卒、NPO法人関西NGO協議会職員)
 私とYWCAの出会いは2002年です。国際協力に関わりたくて情報を探していた時に国際関係開発学科(デグラ)の存在を知り、入学しました。
 デグラでは、国際協力に携わるための基礎知識を学ぶと同時にたくさんの人との出会いに恵まれました。一緒に学んだデグラの同級生、講師の方、Yの職員さん、会員さん等「私たちが生活している、今の社会をもっとよくしたい」と考え、行動している方々との出会いが刺激になり、「私もがんばろう」という励みになりました。
 現在は、デグラ時代にインターンを経験したことがきっかけで、関西地域の国際協力団体のネットワークであるNPO法人関西NGO協議会の職員をしています。関西地域の国際協力団体のサポートを目的として、広報支援や人材育成、政策提言などの活動をおこなっています。仕事の中でYと協力したり、講師の方々とご一緒する機会も多く、デグラでの1年間の学びと人脈が今の私の土台になっていることを実感します。
 今後は、現在の仕事で得た情報や経験、人脈でYに貢献きればと考えています。
目指したい方向が見えた
岩田えり子(国際関係開発学科卒、名古屋YWCA職員)
 大学生の時に名古屋YWCAでフェミニストカウンセリングの心理学講座を受講して衝撃を受け、ハマったまま紆余曲折。大阪YWCAのNGOワーカー養成コースを経て、女性のための相談・支援を主に担当する名古屋YWCA職員となって12年目です。
 YWCAで得た一番のものは「なりたい女性のモデル」。それまで身近にいる女性に「あんな女性になりたい」と思う人はおらず、女性が社会に出ると差別され、厳しい現実がたくさん待っていると聞かされていたので、大人になって社会に出るのがとても怖かったです。でもYWCAで出会ったずっと年上の女性達は自分の意見をしっかり持ち、発言し、運動し、女性だけで大きな組織を運営していました。様々なバックグラウンドやライフスタイルなのに、みんなイキイキと楽しそうに生きている。これは私にとって救いでした。
 もう一つ得たことは、自分の方向性が定まったこと。人権や平和など様々な社会問題について考える機会がたくさん与えられ、「私」の目指したい方向(女性への支援)が見えたことです。
 YWCAに出会えなかったらどんな人生を送っていたか、考えるだけで恐ろしい…。
多様性が財産
堀 奈央美(国際関係開発学科卒、大阪YWCA研修コーディネーター)
 私が大阪YWCA専門学校国際開発関係学科を卒業したのは13年前。入学前は、化学メーカーで研究員をしていました。チームで目標に向かい「もの」をつくっていくプロセスで、素材の研究開発よりも、人間観察が面白いと感じていた私。成果を出すのに、専門知識は必須ですが、それを発揮できる基盤となるのが人間力。創り出される商品の中に人間ドラマを見ていたからかもしれません。もともと興味のあった教育を勉強したくて選んだのがYWCAでした。多文化、宗教、女性、福祉等、様々な切り口での価値観や生き方の多様性を学べたのは、今の私の財産です。卒業後、企業研修関係の仕事に従事。そしてこの度ご縁を頂き、大阪YWCA人材育成・教育センターで研修コーディネーターを務めることになりました。対象は主に企業や社会人です。NGOで追求されてきた「違いを活かす社会」は、現在の日本企業でもテーマになっています。性別・年齢・国籍など多様な人材が、お互いの違いを認め、活かし、能力を発揮しあうことで、パフォーマンスの高い組織づくりができるといわれています。その他にも「自律した人材育成」「リーダーシップ」「仕事を通じての社会貢献」「ワークライフバランス」など、企業が今探求しているテーマの多くは、長年YWCAの中に培われてきたもののではないでしょうか。YWCAが蓄積してきた貴重な資源を活かしながら、企業を通しての社会人育成に貢献できればと思っています。

YWの窓 届け出なし 国会前の一人デモ

 6月始め、首相不信任決議の混迷の日々、私は二日間国会前でひとりデモをした。
 「議員の方々 建設的な議論を 権力争いは不要」と手書きのポスターを作って、警備を張り巡らした参議院正門前へ。届け出デモに2、3度 参加したことはあるも、一人は少しどきどき。おずおずとポスターを広げること1、2分。一人の警官がポスターを眺め、「どこから来ましたか? 震災関連の 方ですか?」など質問。一人なら届けなしでも排除しないそう。修学旅行生も通るし、小さく手をた たいて応援してくれる人もいた。
 東京に住みだして7年、国会前はどうして事があってもこんなに静かなのだろう、と不思議に思うことがあった。
 話しかけて来る人がいて二人になると、「ちょっとここではやめて下さい。」両日とも後半は道路の向かいでやることになった。
 話しかけてくれたうちの一人は中年の男性で花屋さん、来週東北へ行くつもりだと言う。「ともかく東北の花屋さんを訪ねて、できることを探ってこようと思います。」
 一人粋がって意味もないことをしたのか、自己満足と言われるのか、わずか3時間弱の立ちんぼで足が少しこわばり、気分はわずかに楽になった。議員に向けての発信もあるが、むしろ沈黙の市民の一人ひとり、もう少し何とかなりませんか、という気持だった。怒ることができない、馬鹿にもなれない、のは少し悲しすぎると思った。
(会員 山高 万寿子)

専門学校あれこれ 「日本語能力試験準備コース」で勉強しています!

 私は大阪の大学院生です。日本に滞在して数年後には楽に日常生活ができる日本語レベルに達しましたが、自分の研究に日本語を使えるようになるため、日本語能力試験1級合格という目標を定めました。以前に、能力試験2級の受験を試みましたが、自学自習であまり順調ではありませんでした。十年以上前にYWCAで勉強した日本語が流暢なアメリカ人の知人の勧めで、YWCAの2級準備コースに登録することにしました。
 試験準備コースの授業時間は週に2時間ですが、宿題の量は十分です。漢字が苦手な欧米人の僕にとっては、宿題に毎日1?2時間ぐらいかかります。授業も宿題も試験の内容に沿い、文字、語彙、文法、読解、聴解野に分かれており、毎週その五つのカテゴリーの能力を向上させる機会があります。授業の教材は多く、雰囲気はてきぱきとしていて、授業の2時間はあっという間に過ぎます。
 準備コースを受けてから、去年2級に合格することができました。現在は引き続き1級コースを受けており、今年中に1級を合格するため勉強を頑張っています。私の知り合いにもYWCAを勧め、現在彼も一緒に準備コースに通っています。

*日本語能力試験準備コースは年2回実施(4〜7月、9〜12月)、現在もN1、N2、N3クラスが開講しています。

(ジェイムス ブラディ/アイルランド出身)

(社福)大阪YWCA大宮保育園の新たな取り組み〜旭区から千里へお出かけ保育〜

 大宮保育園では昨年度から、新たな取り組みを始めました。5歳児が(後期は4歳児)月1回、同法人のシャロン千里こども館にバスで出向く、「連れだし保育」です。午前中は3グループに分かれ、積木,絵本、遊びの部屋で過ごします。積木の部屋では主にニキーチンの積木を使って指導者とともに課題に取り組みます。絵本の部屋では千里こども図書室のスタッフの方がわらべうた、素話、絵本の読み聞かせなど、穏やかな時間を準備してくださいます。読み聞かせが始まると部屋の出入りはできません。こんな小さな約束も新鮮です。遊びの部屋では保育園にないおもちゃがあり毎回楽しみにしています。そしていつもの給食と違いお家の方の手作りのお弁当をいただいてから、午後は千里の豊かな自然のなかで過ごして帰ってきます。保育園とは少し離れていますが、子どもたちの話を聞いて、「一度こども館へ行ってみたい」という保護者の声も聞かれます。これからも豊かな交わりができることを祈っています。  
(大宮保育園園長 太田 麗子)

ここにYあり(22) 浦和YWCA

 埼玉県の県庁所在地さいたま市の官庁街の一隅に建つ小さな2階建ての会館がYWCA会館です。
 1953年“浦和の町にYWCAを”と、初代会長の白石つぎさんが提唱し、東京YWCAもより会から発展しました。当初は大所帯でしたが、時代が変わり漸次会員数が減少。先輩の火種を絶やしてはいけないと、各種教室、社会のニーズに合った講座を企画し、奮闘中です。
(文と写真/浦和YWCA)
ページトップ
│ イベントカレンダー │ 女性支援 │ 子ども・子育て │ 平和と環境 │ リーダーシップ養成 │ 国際交流 │ その他活動 │
│ お問い合せ │ リンク │ プライバシーポリシー │ 特定商取引に関する法律に基づく表示 │ 日本YWCA │ 大阪YWCA専門学校 │
公益財団法人 大阪YWCA : 〒530-0026 大阪市北区神山町11-12 TEL. 06-6361-0838 FAX : 06-6361-2997 MAIL : info@osaka.ywca.or.jp
Copyright (C) 2007 Osaka YWCA. All Rights Reserved.