大阪YWCAは、女性のエンパワメント、子育て支援、またNGO/NPOリーダーの育成、国際交流等の社会貢献活動をしています。

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大阪YWCA機関紙(2010年6月号) アーカイブ一覧へ
大阪YWCAでは機関紙を年9回(4/5、12/1、8/9月が合併号)毎月1日発行しています。
抜粋して内容をご紹介します。
韓国強制併合100年に想う 植民地主義的心性の克服へ
ここにYありI 名古屋YWCA
近くて「近い」国へ 〜過去を知り、共生の未来へ〜
YWの窓「伝統とは・・・池田香代子さんに聞く」

韓国強制併合100年に想う 植民地主義的心性の克服へ

 4月29日から5月3日まで韓国光州(クワンジュ)で「抵抗と平和」と題した光州事件*30周年記念シンポジウムに参加しました。民主化抗争がテーマの演劇や美術展の鑑賞、民主化抗争ゆかりの地巡り、光州YWCAへの訪問も行いました。
 今年は日本による強制併合100年の年。この民主化抗争への全斗煥(チョンドファン)による苛烈な弾圧の仕方がかつての日本による帝国主義支配の暴力性の再現であり、日帝的な支配構造は独立後も連続していたという重い事実を突きつけられました。
 日本YWCAは昨秋の全国総会で、東アジアと太平洋地域の人びとへの謝罪と未来に向けての決意表明を行いました。その過程で、決して言葉だけの謝罪に終えてはならないことと、東アジアの市民と協働して平和な未来を築くための決意表明でなくてはならないことを確認しました。
  言葉による謝罪のみで、植民地支配の真実究明をおろそかにし、被害者の痛みを身をもって受け止めないならば、それは犯罪的です。民主化運動で89年に捕えられ水攻めの拷問を受けた画家洪成潭(ホンソンダム)さんの靖国神社をテーマにした絵画は、骸骨となった今も日帝のくびきに縛り付けられている2万余に及ぶ朝鮮人兵士の無念さを伝えています。遺族からの靖国神社への合祀取下げ訴訟は全て却下されました。「従軍慰安婦」と強制連行労働者への国家補償問題、歴史教科書からの事実の抹消など、朝鮮半島の人々への植民地支配の罪責を清算していないばかりか、朝鮮学校への高校授業料無償化の適用除外のように新たな差別を押しつけています。この現実を支えているのは、私たちの中にある、かつてと同様の植民地主義的な心性だと思います。私たちに必要なことは、政府の理不尽な政策の犠牲者の声に耳を傾け、問題解決のために粘り強い行動に踏み出すことです。
  東アジアの市民と協働して平和な未来を築くために指針となるのは、2001年に南アフリカのダーバンで開催された国連の人種差別反対世界会議の「宣言」です。植民地主義が人種差別や外国人排斥、不寛容をもたらし、アフリカやアジアの人々・先住民族が今なおその被害者であり続けていることを認めた画期的な条項が含まれています。強制併合100年を機に、明治以来の日本が冒したアジアの人びとへの加害の事実を直視し、私たちにも引き継がれてきた無意識の植民地主義を反省することなくしては、平和な未来は築けないとの思いを新たにしています。

*全斗煥(チョンドファン)軍政下の80年5月18日に始まり、27日に戒厳軍の大弾圧によって敗北した光州市の学生・市民による民主化抗争。韓国では「5・18民主化運動」と呼ばれる。

 石井摩耶子(東京YWCA会員、日本YWCA前会長。恵泉女学園大学元学長・名誉教授。
日本平和学会会員。)

ここにYありI 名古屋YWCA

 名古屋YWCAのテレホンサービスグループでは、1988年より視覚に障害のある方や高齢の方々に、週替わりの3分間テープ情報を提供しています。催しもの・くらしの情報・図書・旅行の案内、聖書のお話など毎回異なる内容です。
 3月には、メンバーの一人太田智恵子さんが80歳を迎えられたのを機に、その人生の一端を語ってもらう会を開きました。空いた時間が誰かのお役に立てば、と数々のボランティア活動を続けてきた太田さんのお話に、60名近い聞き手は心底納得。「やっぱりボランティアは続けるわ」と告げて帰って行かれた方もありました。
(文/名古屋YWCA)

近くて「近い」国へ 〜過去を知り、共生の未来へ〜

 古くから日本と朝鮮半島は深い交流を重ね、日本文化はその影響によって豊かさを増してきました。近世の植民地支配の負の遺産とその清算ができていない事実により、長らく「近くて遠い国」と形容されてきましたが、昨今の市民レベルの交流は両国の距離を再び縮めつつあるようです。
 ご当地大阪には、古代からの人や文化の交流が色濃く残り、全国一の在日コリアン人口が大阪の活気を支えています。大阪における日韓交流史、そしてYWCA間の交流を通し、「近くて近い国」への共生の未来を描いてみましょう。

韓国YWCAとの交流
 戦後の復興無我夢中時代を経た後、大阪YWCAは70年代に入ってアジアの中の日本のあり方について考えるようになった。在日大韓キリスト教関係者の協力を得て、韓国朝鮮史セミナーを開催、その締めくくりとして79年春、韓国歴史ツアーを行った。光州事件1年前のことである。その頃から大邱、木浦など地域YWCA会員が大阪Yを訪れてくださるようになったが、韓国の地域Yとの正式な組織的交流は、96年大田Yとの姉妹提携が最初であった。40人の大旅行団を迎えて行われた姉妹Y提携式について、大阪Y80年史『年輪U』は「この日、大阪YWCAチャペルに響きわたったハングルと日本語による讃美歌と祈りは、二つの国の間にあるわだかまりを超えて、YWCAの名による一致を感じさせる感動的なものとなった。」と記している。その後釜山Yから姉妹提携の申し出があり、05年3月、釜山での調印式が計画されたが、折しも日韓の懸案である竹島(独島)問題が再燃し、韓国内で反日運動が激化、旅行団の安全を考えての釜山からの申し出を受け入れて式を延期、旅行は出発5日前に中止された。両市Yの姉妹提携が実現したのは、翌秋になってからだった。韓流ブームに沸く日本に、両国の微妙な関係を思い知らせる事件だったが、その後も安東、水原、ソウル、春川、釜山等各市Yから次々と会員・職員が来訪された。大阪から韓国を訪問する機会も増え、互いに顔の見える関係から新しい信頼が生まれていることは、ほんとうに喜ばしい。
 22年に誕生した韓国YWCAは、現在、55地域Y、10万人近い会員を有し、社会的にも大きな力を持っているが、日本の植民地時代、日本官憲の監視下でYWCA活動を守るため、やむなく世界YWCAを脱退、日本YWCA傘下に入って「基督教女子青年会日本同盟朝鮮連合会」として活動した時代がある。41年から日本の敗戦による解放まで、朝鮮Y連合会はほとんどの活動を休止、韓国Y80年史には「『大東亜共栄圏』を声高に叫び大陸侵略に狂奔する日本帝国によって言葉と文字、名前まで奪われたまま、創氏改名、皇国臣民を強要され、誰もが息を潜めていた過酷な環境の中で、YWCAが事業として表立ってできることはキチョン女学院(学院事業)だけだった」と記されている。侵略した側の人間として、このことを忘れてはならない。
(前総幹事 鹿野 幸枝 )
私たちの身近に残る日韓交流史
 昨今の韓流ブームで、映画や時代劇から韓国の歴史に詳しくなった人は多いだろう。 中には韓国に足を運んでその世界に浸った人もいるかもしれない。でも日本にいながらにして朝鮮半島の歴史に触れることもできる。

古代のつながり
 たとえば、日本各地には高句(コグリョ)麗(こうくり)・百済(ペクチェ)(くだら)・新羅(シンラ)(しらぎ)といった古代朝鮮三国(ヨン様主演の『太王四神記』というテレビドラマでピンと来る人がいるかも)の名をつけた地名が近畿地方を中心に数多く残っている。大阪には百済駅・百済川・高麗町・高麗橋があり、中でも有名なものは枚方市にある百済王神社と百済寺である。新羅と唐の連合軍に滅ぼされた百済の王族が、7世紀に日本に渡ってきて建てたもので、ここには歴代の百済王の位牌が安置されているという。
 このころの交流の様子を再現したのが『四天王寺ワッソ』だ。毎年11月第1日曜日に、大阪でにぎやかに開催される。「ワッソ」はハングルの「来た」という意味でパレードのかけ声になっている。
 仏教が百済から伝えられたことは、学校の歴史の授業でそういえば習ったな、と思い出す。日本の国宝第1号である広隆寺の弥勒菩薩半伽思(みろくぼさつはんかし)惟像(ゆいぞう)は、静かなほほえみをたたえている。その憂いを含んだ面影は56億7千万年後に現れて人々を救うと言われ、弥勒菩薩の永劫性をよく現している。朝鮮半島から渡来した仏師が作ったともいわれて、韓国の国宝である金銅の弥勒菩薩像とよく似た姿をしているのもうなずける。

やきもののつながり
 日本と朝鮮半島はやきものの面でもつながりがある。古墳時代の須恵器(すえき)に始まるろくろやのぼり窯の技術も、朝鮮の陶工によってもたらされた。豊臣秀吉の2度にわたる朝鮮侵略はやきもの戦争といわれるほど多くの朝鮮陶工を日本へ連行してきた。その陶工たちが始めたのが、有田焼・唐津焼・萩焼・薩摩焼などで、有田焼は九谷焼・会津焼・京焼へと広まっていった。日本では高麗青磁や李朝白磁の人気が高いが、近代日本の朝鮮侵略の時代を経て、特に優れたものは日本各地の博物館・美術館・個人の収集家のもとにあるといわれている。近くでは中之島にある大阪市立東洋陶磁美術館でもみることができる。
 高麗青磁の美しく澄んだ色を古人は翡翠(かわせみ)の羽の青さにたとえている。他に朝鮮の空の青さとか、仏教の彼岸を意味するとか、宝石の翡翠の色など様々に表現される。李朝白磁は(チャングムの時代ですね)磁器の最高峰ともいえ、その深い味わいは、器がもっているおおらかさ、清楚さ、謙虚さにあるといってもいい。

(会員 小澤 裕子)

YWの窓「伝統とは・・・池田香代子さんに聞く」

 『夜と霧』の新訳や『世界がもし100人の村だったら』で知られる池田香代子さんを昨年12月自宅に訪ねた。今年2月発行された大阪Y機関紙特別号1面取材のためである。池田さんはほぼ毎日ブログを更新し、政治、人権、平和からオペラまで語る。各地の講演会では地域に根ざした活動に逆に励まされると言う。
 『世界が..』に示される幸せの5条件は「きれいな空気と土と水、災害や戦争で故郷を離れなくてすむこと、基礎的な医療、基礎的な教育、伝統文化」である。(筆者はここでどうしても沖縄を思い出さずにいられない。)池田さんは、「伝統」というと日の丸、君が代に代表される近代家父長制が声高に語られるのが問題で、これは偽物の保守主義だと言う。明治以降の「近代の伝統」は富国強兵の論理で、国民皆兵の第一市民の男子と第二市民の女子を区別した。
 江戸以前の伝統に遡れば、教育は寺子屋にこそヒントがある。個別カリキュラムで学び、乱暴狼藉の子にも体罰などなく「師匠の不運」と嘆く大らかさ。叱りとばさず諭す大人たちや、子育てをする男達の姿に昔の西洋人は驚いたらしい。
 個人という概念のない時代に、ひとりひとりを大切にする庶民の伝統があった。「地域のためなら国家にも弓を引く覚悟のある人が語る『伝統』こそが信じるに足り、それが真正保守主義」という池田さんの言葉が印象に残る。
インタビューの詳細はhttp://osaka.ywca.or.jp/about/letter1002s-all.htmlをご覧下さい。
(会員 山高 万寿子)
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