<事実その1>
普天間飛行場のある場所は、戦前、村役場や二つの国民学校(小学校)、五つの集落があり、田畑が広がる宜野湾村(現・宜野湾市)の中心部だった。沖縄島南部でまだ戦闘が続いていた1945年6月、米軍はここに、日本攻撃のための基地として、普天間飛行場を造った。
戦場を命からがら逃げ回った村人たちは、元住んでいた場所に戻ることができず、やむなく米軍基地を取り囲むように戦後の生活を始めた。
Q:こういうのって、国際法上どうなの?
A:国際条約(ハーグ陸戦法規など)によれば、戦争中でも敵国民の私有財産は尊重されなければならない。まして戦争が終結すれば、奪った土地は生活者に返還するのが道理。
<事実その2>
日本が占領下を脱して独立した後も、沖縄は、米軍政下に置かれ続けた。日本本土でも、安保条約に基づく米軍が国内に居座ることになったが、砂川闘争をはじめとする反米反基地闘争が続発。そこで日米両政府は57年、海兵隊など一切の地上戦闘部隊を日本から撤退させることに合意し、安保改定を準備した。山梨、岐阜などから撤退した海兵隊は、日本ではなかった沖縄へ移駐した。
これはつまり・・・
米海兵隊は、地政学的必要性から沖縄に配備されていたのではなく、政治的思惑で沖縄へ移駐してきたってこと!
<事実その3>
52年の旧安保発効から60年の安保改定までに、日本の米軍基地は4分の1に減少し、沖縄の基地は2倍に増えた。72年の沖縄返還に際しても在日米軍の再編が行われ、日本本土の基地は3分の1に減少したが、沖縄の基地はほとんど減らなかった。
<事実 その4>
もともとの日米地位協定では、日本が負担する米軍駐留経費は「軍用地料」(基地の借地料)だけであったが、1978年以降‘思いやり予算’がふくらみ続け、施設建設費、日本人従業員の労務費、水道光熱費、訓練の移転費、さらには老朽化した施設の移転・増改築費、防音措置に関わる費用等、駐留費用の7割以上を負担。その金額は2,300億円に上る。 [2006年]
Q:諸外国と比べてどうなの?
A:駐留米兵1人あたりの負担額で比べると、イタリアの341万円、韓国の266万円、ドイツの265万円に対し、日本は1293万円と突出! 世界一の気前のよさである。[2004年度米国防総省資料より]
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