20年間の結婚生活は、夫からの無視、朝まで続く説教、怒鳴り声、経済的困窮など、緊張の毎日でしたが、自分が暴力を受けているという自覚はありませんでした。11年前に家を出てから、夫と上手くいかなかったのはDVだと知り、離婚を決意しました。
夫が一番優しかったのは、私が自殺未遂をして精神科に入院していた時です。毎日洗濯物を届けてくれる夫の姿を見て「怖いと思ったのは間違いだ、本当はいい人だ」と思いました。が、今思うとそれはDVの構造そのものだったのです。私は生きる意欲もなく、「皆に迷惑をかけてしまった、生きている資格はない」と夫の言うなりに従っていたからです。夫に逆らったことはありませんでしたが「まるで収容所のよう」と口をついて出たつぶやきがその全てを表していたと思います。
DVとは、単に殴ったり蹴ったりすることではありません。相手を支配するための暴力的言動で,被害者が加害者に絶対服従をするまで延々と続く恐ろしい行為です。身体的暴力がなくても怒鳴られただけで怖くて思考が停止し、これからどんな暴力が起こるのか想像しただけで身動きが取れなくなり、余りの恐怖で逃げられなくなるのです。支配的な関係になると、話し合いは更なる危険を招きます。信頼した人からの暴力は長期間悪影響を招き、離婚してからも悪夢や無力感に苦悩しました。暴力の無い生活はこんなにも穏やかなのかと安堵する反面、あまりにも多くのものを失った自分の人生に涙し、社会から取り残されたような感じでした。しかし、仲間と出会ってDV被害は自分だけでないと知り、生きる勇気をもらい、未来に希望が持てるようになりました。
DVという言葉はだいぶ浸透してきましたが、知識で理解しても自分のことになると気づき難いものです。暴力は被害者に原因があるのではなく、誰にでも起こり得ることです。それを社会全体が理解する事が、暴力のない社会の実現には大変重要です。そのために、私はこれからの人生をDV被害の現実を語って生きていこうと思っています。
野原沙希(DVサバイバーとして全国で被害者体験を語り、行政への助言や当事者支援に取り組む。NPO法人アーシャ代表理事)
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