大阪YWCAは、女性のエンパワメント、子育て支援、またNGO/NPOリーダーの育成、国際交流等の社会貢献活動をしています。

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大阪YWCA機関紙(2008年6月号) アーカイブ一覧へ
大阪YWCAでは機関紙を年9回(4/5、12/1、8/9月が合併号)毎月1日発行しています。
抜粋して内容をご紹介します。
憲法9条は世界の宝
大阪YWCA90年の歩みを築いた先輩たちA 祈りの人「浅井治子」
大阪YWCA90周年記念旅行
アウシュビッツと中欧の世界遺産をたずねて ポ−ランド・チェコ11日間の旅
YWの窓 「大江・岩波裁判」全面勝訴

憲法9条は世界の宝―9条世界会議終わる―

 2008年5月4〜6日のことは、平和への新時代を開く画期として語り継がれるだろう。千葉市の幕張メッセで開かれた9条世界会議に、日本各地から延べ2万人が、そして世界の32ケ国・地域から150人以上の人々が集まった。会場に入れない人が3000人を越えたことは、呼びかけ人の一人として申し訳ない思いでいっぱいだ。
 冒頭の基調講演をした1976年のノーベル平和賞受賞者マイレッド・マグワイアさんは、お母さんのような雰囲気の優しい方だが、そのお話は厳しいもの。憲法9条は60年間多くの人々を勇気づけ、希望を与え続けてきたが、後退もあるとし、日本の再軍備と軍事化は東アジアの軍拡の引き金になりうるだけでなく、日本が9条をないがしろにすると攻撃の標的とされ、世界を危険な状態に置くことになると警告した。またブッシュ大統領が始めたイラク戦争を断罪し、アメリカは不法な占領を直ちに終わらせ、謝罪して新マーシャルプラン(復興計画)を作るべきだと訴えた。日本の核廃絶のための努力に感謝し、アメリカが原爆投下を謝罪し核軍縮の先頭に立つよう促した。
 30年間続いた北アイルランド紛争の原因は不正と不平等にあり、暴力的手法では決して解決せず、当事者の非暴力による対話こそが真の解決への道だと知った彼女は、そこでの市民社会の役割、特に民衆レベルの許しと和解こそが大切だとし、女性と若者が友情と和解を生み出すことに期待する。そして、日本はまずアジア諸国の人々に対して過去の行為を謝罪すべきで、そこから東アジアの和解に歩みだすよう訴えた。経験に裏打ちされた彼女の一言ひとことは、心の奥深くにしみわたった。
 翌日の分科会を含めて、女性の活躍が目覚しかった。会議開催のきっかけとなった1999年のハーグ平和会議の事務局長コーラ・ワイスさん、アメリカの元陸軍大佐・外交官でイラク戦争に抗議して辞任した平和運動家アン・ライトさん、イラク支援の高遠菜穂子さんなどから、実践を踏まえた貴重な発言が続いた。音楽や舞踊もアイヌや沖縄、奄美大島などの文化を伝える多彩なものだった。5日の日本YWCAの「核のない地球@9条」のワークショップも盛況で、平和教育専門家ベティ・リアドンさんも参加し、アメリカ人として原爆の問題への真摯なコメントを下さり、嬉しかった。
 会議直前まで、大会場が埋まるかどうかを心配していた私が恥ずかしい。会議の成功のために走り回ってくれた若者たちに感謝したい。憲法9条は世界の宝だという熱い想いの人々がこんなにもたくさんいることを知った私たちは、これからも勇気と希望をもって歩み続けたいと切に願う。 

(9条世界会議呼びかけ人 石井摩耶子(日本YWCA会長))

大阪YWCA90年の歩みを築いた先輩たちA 祈りの人「浅井治子」

祈りの人「浅井治子」
1892-1940(大阪YWCA第二代総幹事1921-1937)

 浅井は総幹事就任の挨拶にかえて、「主が行けと命じ給うままに行き、止まれとのたまう所にとどまることは今日の生涯の第一の祈りであります。私はその中に自由を見出し、安定を得、満足と歓喜とを感じます。今、主は私の手に新しき鍬を、前には広い原野をお与えくださいました。その前に立って自己の弱さ、力のなさを感じますが、主のご計画を信じ、私に与えられた力の全部を捧げ尽くしたいと思います。」と祈りの言葉をしるしている。
 浅井は一日の仕事を始める前に、自室にこもり真剣な祈りに集中する。この祈りから、深い洞察、何を世に捧げるか、先を見通しての仕事が進められ、正しい目当てを望んで行く原動力となったのである。
 当時の大阪YWCAの事業には職業婦人寄宿舎(1923)、夜間女学校(1924)、婦人職業紹介(1932)、母子ホーム藤寮(1937)があり、いずれもそれぞれの分野における先駆的な事業であった。

大阪YWCA90周年記念旅行 ポ−ランド・チェコ11日間の旅

大阪YWCA90周年記念旅行
アウシュビッツと中欧の世界遺産をたずねて
ポ−ランド・チェコ11日間の旅 2008年4月14日〜4月24日

 創立90周年記念行事のトップを切って、『アウシュビッツと中欧の世界遺産を訪ねる旅』が実施された。参加者一行27人は、木々が芽吹き、桜、木蓮、レンギョウなどの花々が咲き乱れる早春のヨーロッパを満喫し、歴史の重みを実感して、4月24日元気に帰国した。参加者の感想をお届けする。

 今回の旅行で特に印象に残ったことが二つありました。独立し、安定した国があることのありがたさとアウシュビッツでの大量虐殺の現場を目の当たりにしたことでした。
  ポーランドは戦いにより幾度となく他国に支配され、町並みも文化遺産の多くも失ったが、自分達の町・国を守りたいという人々の強い思いから、長い時間をかけ壊れた破片を集め調査し再建したとのこと。壁のひびの状態に至るまで復元されている建物を見て感動しました。チェコも他国の支配を受け自国語を使うことを禁止されたとき、自国の文化であるマリオネット劇をチェコ語でおこない自分達の心を慰めたとのこと。武力で支配しても文化・人の心までは支配できないものだと感じました。
  アウシュビッツの見学は大変ショックでした。人間としてどうあるべきかを考えさせられました。
  ユネスコ世界遺産の町テルチ、チェスキークルムロフなど古い城・教会・旧い町並みを守っていることに感心しました。
  田園地帯ではその地域の方々の手作りと思われるキリストの十字架やマリア像が道路や家の庭などあちこちにあり、信仰の一端をのぞいた気がします。クラクフでは先の教皇ヨハネ・パウロ二世が青年時代を過ごしたヤギェウォ大学に魅了されました。何百年もの歴史がかおる古いレンガ造りの中庭で静かなひとときを過ごしました。「百聞は一見にしかず」のことわざを今回ほど実感したことはありませんでした。
  そうそう、プラハで行ったビヤホールのビールの味は格別でしたね。オイシカッタ。
(井口 学・敬子)

“旧市街”とヨーロッパ建築の魅力
 川を見下ろす丘の上にそびえる大聖堂つき王宮と、その足下に広がる旧市街。ワルシャワ、クラクフ、チェスキークルムロフ、そしてプラハと、今回訪れた古都には、中世の街造りの原則とでも言うべきかたちがみられる。街の中心に位置する広場を囲んで教区教会の大聖堂や市庁舎(たいていからくり時計がついている)、商店、レストランなどが並ぶ。どの街も建物や石畳が中世そのままに大切に保存され、そしてそれらが国の首都や地方都市として現在も市民生活の場となっていることに感嘆する。
  11世紀頃から徐々に形成されていった都市は、ロマネスク、ゴシック、ルネッサンス、バロック、そしてロココと、まるで建築様式の博物館のよう。一つの建物にもいくつもの様式がみられ、過去の様式を大切にしつつ増改築を繰り返した様子がうかがえる。折しも萌え出る新緑の輝きと相まって、この上なく美しかった。
(会員 鹿野幸枝)

旅を終えて
 一番心に残っているのは、今まで映像でしか知ることができなかったアウシュビッツの寒々とした風景。そこでどれだけ多くのかけがえのない生命が、家族が、生活が抹殺されたか。それぞれの人にあったはずの可能性と未来が、廃棄処分されてしまったということ─まるで「ゴミ」のように。どんな大義名分をかざしたとしてもあってはならないこと。しかし、それは取り消すことができない事実なのだ。
  かつてその場所に強制的に連れてこられた一人ひとりの悲痛な叫び声が肌を通して心に突き刺さってくる思いであった。その場所に立ち、今日まで生かされてきた人間として、「愚かな私たちをどうか許して下さい」とあらためて祈りを捧げる機会が与えられたことは、せめてもの慰めであった。
(会員 加山 従子(よりこ))
アウシュビッツを訪ねて
 旅の3日目、私達は宿泊先のクラクフから2時間近くかけてオシフィエンチム(アウシュビッツ)に向かいました。
 現地公認ガイド中谷剛さんの案内で第1収容所を見学するため、ARBEIT MACHT FREIと書かれたゲートにむかいました。「働けば自由になる」との意味ですが、実は彼らは死ぬまで働かせられたばかりでなく、ガス室に直行させられたのです。ゲートの向こうには赤レンガとポプラ並木が整然と続いていて60年余り前、そこが殺戮の現場であった等想像もつかない美しさでした。4、5号館が展示場になっており、4号館を入ると大きなヨーロッパの地図が目に飛び込んできます。そこに示された地名は連行されてきたユダヤ人の故郷です。民族浄化と銘打って家族や親族ごとにまとめて抹殺したため、犠牲者の数は定かではありません。ユダヤ人のみならずジプシーと呼ばれたロマ・シンティの人、スラブ民族もその対象になりました。その他ポーランドの社会的リーダー(教育者、聖職者、芸術家等)又知的及び身体障害者などがナチスの標的になりました。数多くの写真や記録、物的証拠には説得力があります。
 我々は2階へ進みます。そこにはビルケナウ(第2収容所)のガス室と焼却炉の模型があります。ガス室に投下されたチクロンβは20分足らずで数百人が窒息死したと言います。死体が身に付けていた宝石類や金歯、女性の長い髪、使えそうな物は全てはぎとり、焼却炉へ運びました。没収した物、髪の毛で編んだ生地はよく売れたと言うのです。4号館の一部と5号館には、これらの髪の毛、鞄、靴、衣服、眼鏡等々が分類され、大きな展示室に積み重ねられています。私達はこのような状況の中で抵抗しようと立ち上がったポーランド人が銃殺された場所へ移り、花を捧げ、祈りを捧げました。
 次に、バスで5分のビルケナウ収容所へと歩を進めました。だだっ広いその場所は粗末な木の建物と、捕虜の輸送を証しする線路と、今は建物もない暖炉の煙突が建っているばかりです。
 今、負の遺産を守ろうと寄付やボランティア作業に協力する人も多く、特にドイツの若者の真剣さが目を引くそうです。戦後、戦犯として処刑された収容所長のルドルフ・へスは、妻には自分の妻であったことが分らぬよう旧姓に戻って生きていくよう勧め、息子には「自分は上からの指示に忠実に従って仕事をしてきた結果このような破目になった。君は勉強をして自分で考え、判断して生きていく人間になれ」と言い残したといいます。沢山の問題を投げかけられた1日でした。
(会員 朝川晃子)

YWの窓 「大江・岩波裁判」全面勝訴

 去る3月27日、大阪地裁にて、大江健三郎の「沖縄ノート」の集団自決の記述をめぐる裁判の判決が出た。旧軍人側の訴えはいずれも棄却された。版元岩波書店代表の入試発表当日のようだったとの感想は、1年半傍聴を続けてきた私たちも同じであった。
 住民が国のために美しく死んだのではなく、軍の命令によって死に追い込まれたということだけは実証したかった、という大江氏側弁護士にとっては想定される最高の判決であったという。
 一昨年9月、沖縄Yから傍聴の呼びかけがあった頃は、裁判の存在は知られておらず、軍命を出したとされる旧軍人が名誉毀損で訴えたものとの印象であった。しかし、昨年3月、文化省が「現在、裁判中であるため高校歴史教科書の集団自決の記述から軍の関与を削除すべき」との検定を出し、この裁判が軍の名誉回復を意図したものであることが明白になった。この検定は逆に現地沖縄の猛反発を生み、新たな証言もなされ、教科書執筆者の抗議も受けて見直されたが白紙撤回には至っていない。
 裁判の過程では、旧軍人側証人自ら「手榴弾が1つとして隊長命令なしに住民にわたることはない」と断言、原告自身が「沖縄ノート」を読んだのは提訴後であると証言するなど、いかに訴えが虚構の上に成り立っているか、私たちにも伝わってきた。
 原告が控訴したため、大阪高裁で2審が始まる。歴史教科書から戦争の実態を隠そうとするこの裁判。戦争ができる国にしないために沢山の目で見守っていきたい。

(会員 白井邦子)
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