2010年9月にパレスチナへ行ってきました。これまで、何度もパレスチナの話を聞いていましたが、日本に住む私には、なかなか実感を持つことができませんでした。ですから、パレスチナ旅行に誘われた時は、「パレスチナに行って、現地の状況を実感したい。」という気持ちで参加しました。
飛行機を乗り継いでたどりついたパレスチナは、青い空と白い壁の街並みのコントラストが印象的でした。アジアールを運営するアブー・ムーサーさんのお家にホームステイをさせていただいて、観光したり、オリーブの畑を見学に行ったりしました。私たちは、市場で買い物を楽しみ、教会や遺跡を見てまわり、夜はアブー・ムーサー家でお母さんの手料理をいただいて、パレスチナの生活を満喫しました。
人々の暮らしは穏やかで、生活に困っているような様子は見られませんでした。でも、人々の話をよく聞き、観察していると、ハッとすることがありました。パレスチナYWCAを訪問した時、同僚の方が転職したという話を聞きました。毎朝チェックポイントを迂回して通勤していたが、かなりの長距離で通いきれなくなったそうです。チェックポイントでも、私たちはすんなり通過できましたが、パレスチナ人は「もう1時間以上待たされている」と言っていました。いちばん驚いたのは、アブー・ムーサー家の長男、ムーサーが17歳から5年間投獄されていたことです。一見幸せそうなパレスチナの人々の日常の中には、日本に住む私たちは経験することのない不自由、不公正がちりばめられていました。
以前、フィリピンに行ったときは、そこに絶対的な貧困がありました。食べ物がない、仕事がない、電気や水がない。パレスチナの問題は、それらと比べるとなかなか目に見えません。だからこそ、私たちはもっと目を開いて、事実を知ろうとする必要があると思います。パレスチナはとてもすてきな場所でしたが、ただすてきな場所だったでは終わらせないようにしたいと思っています。 |