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りさ〜ら
大阪YWCA国際部パレスチナグループ
ニュースレター(2007年12月1日発行 第26号)
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※“りさ〜ら”とは、アラビア語で「手紙」「伝言」という意味です。
パレスチナ・キャラバン公演 「アザリアのピノッキオ」
パレスチナ人ファヒトさんによるスピーキングツアーに参加して
講演会「レバノン・瓦礫の中から再生を考える」 に参加して

パレスチナ・キャラバン公演「アザリアのピノッキオ」

 2007年秋、日本とパレスチナの劇団の共同公演が行われました。パレスチナからの劇団は、ラマラを拠点に活動する演劇人。企画立案、招聘を主催したのが、俳優・大久保鷹をはじめとするプロジェクト・チーム。日本人俳優は日本語、パレスチナ俳優はアラビア語、二つの言語が交差してせりふがやり取りされ、アラビア語のせりふには日本語字幕が投影されました。
「アザリア」はエルサレム近郊の村の名前で、エルサレムに平和を運ぶ天使の通り道、とも言われている場所だそうです。「アザリアのピノッキオ」に寄せて、現代アラブ文学、パレスチナ問題に精通している岡真理さんにメッセージをお願いしました。

 今年9月から10月にかけて、東京、名古屋、京都の3都市でパレスチナ・キャラバンの『アザリアのピノッキオ』の公演があった。パレスチナと日本の役者が共同制作したテント芝居だ。
 難民キャンプのオリーブの木の下でパレスチナ人の老人は孫に、幼い頃出会った人形芝居一座の話を語き聞かせる。他方、今は新宿でぼろ屑拾いのホームレスとして暮らす一座の団長は、かつてエルサレムで出会った難民の少年のことを思い出す。二人の男の回想が時空を越えて一つの物語に縒り合わされる。
 人形芝居に興じた少年はイスラエル軍に殺され、その死を目の当たりにした団長はエルサレムで行方知れずとなり、やがて野宿者に身をやつす。そこには団長を演じる役者、大久保鷹自身の思いが色濃く重ねられている。
一九七四年、鷹はレバノンのパレスチナ難民キャンプを回り、子どもたちに「風の又三郎」の芝居を見せる。だが、その二年後、鷹が訪れたタッル・エル=ザァタル・キャンプでは四千人が虐殺され、八年後のシャティーラでは二千名以上が殺される。無残にも殺された犠牲者の中には、鷹の芝居に興じた子どもたちもいただろう。芝居を見た子どもが虐殺される現実の中で、芝居を演じること、役者であることにいかなる意味があるのか。鷹が自分に突きつけた問いだった。ダマスカス門の彼方に消え去る団長とは、鷹自身の姿でもあった。鷹が訪れたレバノンの難民キャンプは、『アザリアのピノッキア』では第二次インティファーダさなかの占領下のキャンプに置き換えられる。一座が出会う難民の少年の名はムハンマド・ドゥッラ。2000年9月のインティファーダ勃発直後、銃撃され、父親の腕のなかで息絶えた、ガザの12歳の少年だ。
 物語は、少年がピノッキオと冒険の旅に出る場面から始まる。本当の人間の子どもになりたかったピノッキオとは、人間として生きることを何よりも夢見る無数のムハンマド・ドゥッラの謂いにほかならない。
 芝居の最後、テント芝居の約束どおり舞台背後の天幕が落ちる。すると、港から船が遠ざかるように、夜空の彼方に向けて去っていくパレスチナ人たちの賑やかに歌い踊る姿があった。それは一九八二年、イスラエル軍のレバノン侵攻でベイルートを追われ、船でレバノンを去る何千人ものフェダーイーン(パレスチナ人戦士たち)の姿だった。船路の先にどんな未来が彼らを待つのか。事実、その数日後、ベイルートに残された難民たち数千人がサブラーとシャティーラで虐殺される。だが、今この瞬間、生きていることを寿いで、賑やかに踊り歌い、敗北の船上を生の祝祭空間に変えること。そうやって彼らは、六〇年に及ぶ苦難の歳月を、絶望のさなかにあってさえ希望を失わずに生き抜いてきたのだということを、パレスチナ人の歌声にのせて作品は力強く訴える。涙が止まらなかった。 
                          (岡 真理 京都大学准教授・現代アラブ文学)

パレスチナ人ファヒトさんによる スピーキングツアーに参加して

2007年11月25日 ストップ・ザ・ウォール・キャンペーン
ファトヒ・クデイラートさんスピーキング・ツアー大阪集会 於浪速人権文化センター

国連パレスチナ分割決議(1948年)から60年、パレスチナの再占領(1967年)から40年 にあたる今年。パレスチナのNGOスタッフを招いてスピーキングツアーが開催されました。 ヨルダン渓谷での土地収用等深刻な人権侵害を見逃して進められている、日本のODA「平和と繁栄 の回廊」構想を批判し、現地で起こっていることに目を開いてほしいと全国で訴えました。

 ヨルダン川西岸地区で活動する分離壁反対の運動家であるファヒト・クデイラートさんが、講演で「パレスチナの今」を語ってくれました。
特に印象に残った話は、パレスチナの子どもたちの暮らしと教育の権利の剥奪についてでした。フェンスのすぐ向こうの入植者の子どもは何でも揃った家で暮らし、立派な学校へ通っている一方、パレスチナ人の子どもたちは、水も土地も家も移動も不自由な生活を強いられ、中には毎日5キロも歩いてテントの学校に通っている子どももいるというのです。
占領下の不条理を目の当たりにして育つことが、今後の子どもたちの成長に何の影響もないとは思えません。パレスチナへの日本政府の援助が決定した以上、日本人にとってもはやパレスチナの占領は関係のない話とは思えません。現在、その援助が市民にとって真に有益なものなのかどうか懸念されています。私たちの支援が不必要なもの、ましてや悪循環をもたらすものにならないようにも、今後の動向に目を張り、“声を上げる”準備をしなくてはいけない、と思います。関わる以上、目を瞑って黙ることは不正義で、占領を許すことなのだと、講演から学びました。                 
                              (大阪YWCA国際部委員 尾畑ちひろ)

講演会「レバノン・瓦礫の中から再生を考える」 に参加して

2007年11月3日 於ドーンセンター パレスチナ子どものキャンペーン主催
講演会「レバノン・瓦礫の中から再生を考える」に参加して 

 パレスチナ問題には、もう20年近く関心を持ち、私なりにこころ痛めてきた。
湾岸戦争後の和平プロセスも挫折し、アラファト議長が亡くなり、ガザ入植も撤廃されたものの監視と封鎖はより厳しく・・・と刻々と変化が起きている中、レバノンのパレスチナ難民のことは世論からはずされて来たように思う。5月にナハルエルバルドで起こったレバノン軍との交戦は一部の武装グループが関わり、巻き添えになった市民は42人とか。住むところを奪われた難民キャンプは瓦礫となり、死の街になったが、あるカップルがそこで結婚式をあげた。彼らはその難民キャンプで育った。彼らにとっては唯一の地である。
 「過酷な状態で暮らす難民の親は子供を虐待したり、また学校へ行きたがらない子供も多い」と臨床心理士のジャックリーヌさんは言う。もう一人のゲスト、カセム氏(元ユニセフの職員で現在「子どもの家」の施設長)は「苦労して大学へ入ったがパレスチナ難民であるがゆえに差別を受け、成績が良いのにも関わらず奨学金を受けることが出来なかった」とレバノン人との差別を強く感じている。
 難民の4人に一人がパレスチナ人である。イギリス、フランスの植民地時代の落とした過ちは現在「テロ」と簡単に片付けられ、国連難民救済機関からも見放されつつある。
「私たちは希望を持っている。何時かパレスチナの国へ帰還できることを」とカセム氏は明るく結んだ。                    

(大阪YWCA会員 川辺宣子)
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