封鎖と外出禁止令も私たちの生活を脅かします。外出禁止令が出されると、昼も夜も家から一歩も出ることができません。それが何日続くのかも分かりません。子だくさんのパレスチナ人家庭では、狭い家の中に閉じ込められ、走り回る子ども達と時間をやり過ごすのはかなり辛いことです。やがて食べ物も底をついてきます。お腹をすかせた子どもたちに食べ物を買いにいくことも出来ない様子を想像してみてください。
家屋破壊も頻繁に行われます。不審な行動をとる人物がいれば、集団懲罰として付近一帯の家が破壊されます。パレスチナ人にとって家を持つということは、単なる財産という以上の特別な意味をもつことで、小さいころからコツコツとお金をためて家を建てるのです。その家があっという間にブルドーザーで破壊されてしまう。過去2年間で2万人人以上の人が家を失いました。
元は我が家だった瓦礫の山に座り、老人が子どもにパンを与えているこの写真は、とても悲惨な光景です。しかしまた同時に、どんな屈辱をあたえられても、次の世代を育てていくのだという力が湧きあがってくるのです。
私たちの生活はまた、恥辱と恐怖と死に満ちています。上の写真に写っているのは、軍服を着ていなければ見た目だけではイスラエル人かパレスチナ人か分からない2人の若者ですが、銃を持つイスラエル兵の前に衣服を剥ぎ取られてしゃがみこむ姿は、力ある者と全く無力である者、その隔たりを映し出しています。
2人の子どもが手をつないで振り返る先にはイスラエル軍の戦車が控えています。けれどもこの子達の進んでいく先には平和な未来があると信じたいのです。
私の祖母はオスマントルコ支配下のパレスチナに、両親はイギリスの委任統治下のパレスチナに生まれました。私自身はイスラエルの支配下のパレスチナに生きています。これから生まれてくる子ども達がパレスチナ人が統治するパレスチナに育つことが出来ればと願います。
日本に来て、たくさんの人の善意にふれました。残念ながらそれはパレスチナでは感じることが少ないものでした。力を得てパレスチナに帰ります。
(文責:宮崎)
占領下の現実の一端を知らされ、衝撃を受けました。アブラさんに直接お会いしてパレスチナを身近に感じた一時でもありました。日本にいて出来ることは何なのだろう、と考え込んでしまいますが、「あなた達のことを気にかけている」という想いをパレスチナに送りつづけたいと思いました。
今回、アブラさんによる講演会の感想を書いてくださった方々に、お礼を申し上げます。
友人の皆さまへ
滞在中思いやりあるサポートを頂き、私と同僚のハイファが伝えたパレスチナ問題について、真剣に耳を傾けていただいたことに、この機会を借りて改めて感謝の意を表したいと思います。
私はこの滞在中にお会いしたそれぞれの方々から多くのことを学びました。日本の皆さんとのパートナーシップをとても心強く思います。そして私がお会いした一人一人の方との友好をきっといつまでも大切にしていくことでしょう。 パレスチナYWCA総幹事 アブラ・ナシル |