| 大阪YWCA専門学校概要 |
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| 学校名 | 大阪YWCA専門学校 |
| フリガナ | オオサカワイダブリューシーエーセンモンガッコウ |
| 所在地 | 大阪市北区神山町11-12 |
| 設置者 | 財団法人 大阪YWCA |
| フリガナ | ザイダンホウジン オオサカワイダブリューシーエー |
| 法人理事長名 | 桝居 伸子 |
| フリガナ | マスイ ノブコ |
| 校長名 | 谷川 いづみ |
| フリガナ | タニカワ イヅミ |
| 教育目標 | 大阪YWCA専門学校は、「すべての人は神の前に等しい価値を持つ」というキリスト教の精神に基づいた教育を行います。高い人権意識と国際的視野を備えた、社会に貢献できる人材を育成することを目的とします。 |
| 定員(全日制) | セクレタリアルアーツ学科:50名(募集停止) |
| | 国際関係開発学科:40名 |
| | 国際関係開発第二学科:30名(募集停止) |
| | 日本語学科:57名 |
| | 日本語第二学科:20名 |
| 校舎面積 | 828㎡ |
| 教室数 | 10室 |
| 学生宿舎 | 無し |
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| 大阪YWCAにおける教育事業の沿革
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| 1918年 | 大阪YWCA設立 |
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1919年 | 英文速記、タイピング、商用英語など職業教育を開始し、 日本でのタイピストおよび秘書養成の草分けとなる
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| 1920年 | 働く少女のための「補習夜学」を開設 |
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1924年 | 大阪キリスト教女子青年学院(大阪YWCA学院)として、 大阪府より各種学校の認可を受ける
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| 1925年 | 文部省より財団法人大阪基督教女子青年会の認可を受ける |
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1937年 | 夜間女学部が文部大臣指定認可を受け、「扇町夜間女学校」となる。
これにより、昼間女学校と同等の資格を認められる。
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1944年 | 扇町夜間女学校が、学制改革により「恵星高等女学校」として
設立認可される 戦況の厳しさから、この年の暮れに事実上閉鎖
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| 1945年 | 終戦 |
| 1946年 | 英語やタイピングのクラスが再開される |
| 1948年 | 恵星高等女学校が大阪女学院同窓会に委譲される |
| 1954年 | 大阪YWCA学院商業部、家政部を新設 |
| 1958年 | 大阪府各種学校連合会に加盟 |
| 1959年 | 商業部を整理し、秘書養成科を開始 |
| 1964年 | 家政部の名称を家庭教養科とする |
| 1969年 | 日本語教師養成講座開講 |
| 1977年 | 中国帰国者のための日本語教室開始 |
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1982年 | 大阪府より専修学校ビジネス専門課程として認可を受け、
「大阪YWCAセクレタリアルアーツ専門学校」(2年制、女子)を開校 大阪府語学ビジネス学校協議会に加盟
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| 1985年 | 全日制日本語クラス開始 |
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1987年 | 大阪YWCA専門学校」と改称 セクレタリアルアーツ学科に加え、
「日本語学科」本科(1年コース、1.5年コース、男女共学)を設置
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1988年 | 大阪府の委託事業として、「大阪中国帰国者自立研修センター」を開所 専門学校奨学金制度発足
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| 1989年 | 日本語教育振興協会が発足し、 認定校となる 「日本語教師会」設立 |
| 1992年 | 専門学校に「バイリンガルビジネス学科」(1年制、女子)を設置 |
| 1995年 |
セクレタリアルアーツ学科およびバイリンガルビジネス学科の募集を停止し、 「国際関係開発学科」(1年制、男女)を設置
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| 2001年 |
厚生労働省委託事業として、「近畿中国帰国者支援・交流センター」を開所
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