大阪YWCA会報(大阪版)

2007年3月号(抜粋)


<目 次>

[一面]
「こどもとのパートナーシップ」
 佐藤 幸男(こどもソーシャルパートナー)

[二面][三面]
YWの窓
 「受容され安心できる関係を目指して」

男の目
 「私の思う『ジェンダーの視点』の大事さ」

[四面]
◇専門学校あれこれ 「中国で日本語を教える」


「こどもとのパートナーシップ」

佐藤 幸男(さとう ゆきお こどもソーシャルパートナー)

 今、学校で多くの子どもたちと出会う中で一番強く感じることは、子どもは自分の気持ちをありのまま認めて欲しいと願っているということです。失敗してつらい、1人で寂しい、勝負に負けて悔しくてたまらないなど、様々な気持ちがいろいろな出来事に対してあります。しかし多くの大人はその気持ちを認めるよりも先に「こうすれば」とアドバイスしたり、「そんなことでどうする、頑張れ」と励ましたりしがちです。アドバイスや励ましを否定するわけではありません。ただ子どもたちはまずそういう気持ちを持つ自分という存在を受け入れて欲しいのです。
 たとえ「あいつが憎くてたまらん、殴りたい」という気持ちであっても、大人から「そんなこと思ったらあかん」と否定されればされるほど、子どもはその思いを押し殺すことに苦しみ、わかってもらえなさを募らせるのではないでしょうか。
 私は人の気持ちに善悪はないと思っています。気持ちはただあるだけです。その気持ちがあるという事実から目を逸らさずにいたい。もちろん気持ちと行動は別です。「殴りたい」という気持ちをありのまま認めて受け入れることは、「殴る」という行動を受け入れることではありません。また気持ちを受け入れるということは子どもの言いなりになるのとも違います。例えば「このゲーム買って欲しい」という気持ちを認めても、買わないことがあっていいのです。でもその方が手間かもしれませんね。時にはこちらが腹を立てたくなるかもしれません。「だって私は誰にも自分の気持ちを聴いてもらってない。自分もちゃんと誰かに自分の気持ちをわかって欲しい」と。
 大人だってわかって欲しい。そのことを自分に認めたら、話をしっかり聴いてもらえる相手や場所に自然と敏感になっていく。子どもの気持ちをありのまま受け入れることが難しかったら、そこか始めていいのではないかと思っています。

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YWの窓

「受容され安心できる関係を目指して」

 皆さんはこれまでにいじめの被害者または加害者になったことはありますか?僕は小学生、中学生といじめられた経験があります。その当時も現在も、いじめは見た目の体格や、その人固有の性格が回りから受け入れらない等、ひどい時には、その人の存在すら否定されて引き起こしています。この世に自分と同じ人は存在せず、一人ひとり違っています。あの人がこうしているから、僕も私もそうしないといけないかのような社会の風潮は確かにあります。いじめは被害者、加害者どちらにも心に傷を残すことになります。家庭、学校、企業とあらゆる社会で我々大人が一人ひとりの違いをしっかりと受けとめ、その違いの豊かさ、素晴らしさを伝えていかなければ、いじめはなくなりません。仮に、みんなが同じだったらいじめや争いは起こりませんが、そんな関係は非常につまらないものです。自分と違っている人と出会って、あーなりたいと夢を持ったり、こうしようと努力したりすることが向上心を持って成長していくのだと思います。
 青少年部ではすべての子ども達が安心していられる場を提供しています。そこに関わるリーダーやスタッフ達は子どもの達のありのままを受け入れ、一人ひとりを大切に活動しています。活動を通じてお互い認め合える関係を含み、自分らしく生きていけることを目指しています。
(会員)

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男の目

私の思う「ジェンダーの視点」の大事さ

 ある女性の友人が、「釜ヶ崎の炊き出しボランティア活動のとき、『女の人が配ってあげてー』と言われても私は別にいやじゃない。いつもジェンダーが一番大事というわけじゃないと思った」というような話をしてくれました。そうですよね、と思います。その上での話ですが、私のジェンダー平等論は、人と人が対等に、気持ちよく関わることをめざすもので、その意味で“人権”という概念を豊かにするものなんですね。釜ヶ崎の運動とジェンダー平等運動が目指すものには、大きな共通性があるといえます。だからそのときに優先すべきものを考えて、時には「女が家事的補助的な役割をする」ということを問題にしなくていいこともあると思います。ただし、本来対立しないのだから、優先的でないときでも、少し滑り込ませて、「あなた(男の人)も一緒にやろうよ」「昨日は女性だったから、今日は男性にしてこれからは順番にしようよ」とか言ってもいいんじゃないかな。というのは、そういう言葉を発する人がいて、徐々に人の意識が変わっていくから。他者が何かを言ったとき、その意味を敏感に感じ取るような人が増えることが、実は「人権に敏感になる」ということなのだから。ジェンダー問題が大事じゃないのではない。多くの人が、権力的なこと(押し付け)に敏感になっていくことが大事で、だからジェンダーの視点は大事なんだ、と思っています。
(大阪YWCA非常勤講師)
*男の目の連載は3月号をもって終了します。ご愛読ありがとうございました。

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専門学校あれこれ 
日本語教師養成講座 海外実習プログラム体験報告

「中国で日本語を教える」

 私は04年3月に養成講座を修了し、海外実習体験プログラムに参加しました。浙江省寧波市にある愛心語言学校という日本語学校で正規の日本語クラス授業を担当しました。学生は11月下旬に「あいうえお」から始めたばかり。まだまだ使える言葉が少ないのでなかなか話ができません。でも学生は今回の日本人との交流をとても楽しみにしていたようで積極的に話そうとしてくれました。
 養成講座の20分の教育実習でさえ教案を書くのに四苦八苦していたのに、今回は120分という長さです。始めはどんな教案を作って授業をすれば120分間を有効に使えるのか見当もつきませんでしたが、出発前の個人指導や現地での再三の指導もあり、なんとか授業を終えることができました。授業準備では計画通りに進まない教案作りにイライラしたり、こんなことをしても意味がないと自暴自棄になったりしましたが、『何事もやってみなければ結果はでないよ』と背中を押してくれた家族に感謝しています。そして、きめ細やかな先生の指導や職員のサポート、私たちを温かく受け入れて下さった愛心語言学校の先生方、たくさんの方々の深い思いやりと善意と愛情のおかげでこのような素晴らしい体験をさせてもらいました。
 養成講座受講時から蒔いた種が今年漸く芽を出そうとしています。若し芽が出たら水やりを忘れないように、いつか蕾をつけて花が咲き実が実るまで大切に育てたいと思います。
(参加者)

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