『きばのあるヒツジ』という絵本があります。広い原っぱで、のんきに暮らすヒツジの群れ。唯一の悩みは、オオカミがときどき群れを襲い、年寄りや子どものヒツジが犠牲になることでした。一頭の年寄りヒツジは、自分の歯が抜けたあとに死んだけものの牙(きば)をはめこみ、オオカミを撃退するようになりました。それを見た若者は、まだ丈夫な歯を石で叩き折り、死んだジャッカルやキツネの牙をアラビアのりでくっつけます。こうしてヒツジの群れは、オオカミに襲われない平和な日々を手に入れました。ただ一つ困ったことが。とがった牙が邪魔してうまく草が食べられないのです。お腹がすいてむしゃくしゃするうちに、草食仲間のシマウマのお尻が実にうまそうに見えてきて・・・。牙をもったヒツジはとうとう肉食獣となり、草原の平和は崩れていくのです。
この絵本にはひと言の解説もありません。が、「平和」、「安全」、「武装」などについて、深く考えさせてくれます。
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」 これは、日本国憲法前文の一節です。
私たちはけものではなく人間です。だから、牙のあるものがないものを食うのでなく、信頼によって互いの安全を守ることができる、その人間としての崇高さを信じてやっていこうと決意した、というのです。それも、自身の安全のためだけではなく、
「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することををここに確認する」と−。この前文の精神を具体化したのが、「戦力放棄」の憲法第九条です。
九条改憲への動きが勢いを増しています。軍事力こそが危険を招くことは、沖縄の、そして人類の歴史が証明しているというのに。九条を棄てることは、人間の崇高さを諦めることかもしれないのに。
愚かな大人が牙を磨き、おびただしい数の子ども達が今年も「恐怖と欠乏」のうちにクリスマスを迎えようとしています。私たちは何をなすべきなのでしょうか。
平和の君であるイエスを迎えるクリスマスに際し、何はともあれ声に出して願ってみましょう。
『世界のこどもたちに平和なクリスマスを』。
雀部 真理(ささべまり ピースアクション2006 実行委員長)