大阪YWCA会報(大阪版)

2006年3月号(抜粋)


<目 次>

[一面]
「地域に生きるYWCA」
 大阪YWCA総幹事 鹿野幸枝

[二面][三面]
「YWCAと出会って」

YWの窓
 「私と中国との国際交流」

男の目
 「イヌの寿命、ヒトの寿命」

[四面]
「公益法人制度がかわります」

その他


「地域に生きるYWCA」

私たちにできること しなくてはならないこと

 2008年4月、大阪YWCAは満90歳を迎えます。大正時代の初期、東京、横浜についで日本の第三番目の地域Yとして誕生しました。
 まず初めに手がけた仕事の中でユニークだったのは、職業婦人のための寄宿舎の提供です。女子教育の普及とともに女性の職場への進出が目立ってきていた商都大阪で、家庭から遠く離れて働いている多くの女性に憩いの場、安心して住める家を提供することは急務だったのです。
 爾来大阪YWCAは、『誰のために何をするのか』を常に問いながら、激動する社会のただ中で女性と子どものエンパワメントに取り組んできました。
 歴史を振り返ってみるとき、「人間の尊厳を守り、平和と正義のため世界の会員と共に活動する」というミッションを達成するため、会員が中心となって委員会を構成し、社会のニードを探りあて、それに応えていこうとするYWCA独特の働き方が、一貫して続けられていることに感動すら覚えます。
 そして、社会の要求に最も強く突き動かされ、会をあげて取り組んだ活動に阪神大震災救援活動があげられます。
 体験した者の価値観をも変えるほどの大地震は、大阪YWCA活動のあり方にも大きな影響を与えました。一刻も早く救援に取り掛からなくては、会員は、学生は無事だろうか。被害のあまりの大きさにあせりと無力感の支配する事務所の混乱の中で、何人かの会員・職員が文字通り夜を徹して「私たちにできること、しなくてはならないこと」を協議。救援体制を整えてボランティアを募集、トレーニングを行い、実に地震発生一週間後には被災地の教会(芦屋市)に泊り込んで「災害の後に〜心のケア活動」を開始しました。緊急避難所から仮設住宅へと被災者の困難な生活が移っていく中で、精神科の医師や心理の専門家の協力を得ながら丸四年も現地で続けられたこの活動は、大阪YWCAを育て、ボランティア団体としての大きな自信を与えてくれたと思います。その後この活動は被害者支援活動を生み出し、現在は、DV被害者サポートへ、また、広く対人援助者の養成・支援へと受け継がれていっています。
 私事になりますが、94年から総幹事という職を与えられ、12年に渡り楽しく働いてきました。初年度に地震救援の嵐を体験、その後被害者相談室の立ち上げ、千里センターの建替え(シャロン千里の建設)、中国帰国者支援・交流センターの設立、ステップ・ハウスの開設と、大阪という地域に生きるYWCAが必要とされる仕事に夢中で取り組んできました。その間、信頼できる仲間と共に、より高い理想に向かって働くことができたことを心から感謝します。人に出会い、共に働き、共に育つ、これがYWCA運動の王道であること、そして困難に思えることも神のみ手が働いて、すべての事を可能にしてくださったことを確信します。
 3月で職を辞します。長い間ありがとうございました。
(大阪YWCA総幹事 鹿野 幸枝)

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「YWCAと出会って」

自画像「ただ今製作中」
 仕事も趣味も極めたことがない私は、心に自画像を描き「中途半端」と題をつけました。人生を登山に例えるなら、四合目で滑落を経験しました。
 大阪YWCAの中国帰国者支援センターの和洋裁クラブに参加して2年になります。ここでは、帰国者とボランティアが思い思いに手芸を楽しんでいます。交流は衣から食へと広がり、日中合作のランチサービスも恒例となりました。  日曜の午後をYWCAで過ごすうちに、私は昔取り損ねた杵柄のひとつひとつがジグソーパズルのように並びはじめるのを覚えました。握りしめたままの石ころも、いつか絵の中で私にその意味を教えてくれるかも知れません。自画像を「ただ今製作中」です。  (S.Y.)

YWCAに充実感!
 私がYWCAに行き始めたのは、4歳の娘の英語教室を探しているときでした。他にも子ども向けの講座があると聞いて、早速通い始め、もう1年半です。ここに通っているお母さんたちのパワーにいつも圧倒されながらも、とっても刺激になります。娘と2人で、公園めぐりをしていたときとは、違う充実感を感じられて、いまここに通うのが、とても楽しいです。自分の祖母のような方にお料理を教わったり、もう、お子さんが大きくなった人たちの話を聞いたりしていると、今、娘と2人でいろいろと出かけられる時代を大切にしなくては、と感じています。いろんな方とで出会うことができたYWCAに感謝するとともに、これからもよろしくという気持ちです。  (I.H)

食事ボランティアに参加して
 毎月第4月曜日にシャロン千里で開催されている高齢者対象のお食事会にボランティアとして参加させていただいた。コーラスの時、またハワイアンの時あり、落語等その時々を楽しんだ後、歓談しながらのお食事、という二時間のプログラムである。ボランティアは会場作りや配膳のお手伝いのみだが、それ以前に会の運営が数え切れない程多くの方々の働きによって支えられていることを知った。
 私はまだ経験が浅く、YWCAとは女性の視点から様々な社会問題に取り組んで活動する団体である、という程度の理解しかないが、一つ一つの活動が、企画から実践に至るまですべて女性によって成されるというところに大きな魅力を感じた。これからも少しずつ学ばせていただきたいと思う。  (K.K.)

心のこもったコーヒーを
 私は定年退職した後、ボランティアに目覚めた。自宅に近いシャロン千里を訪ねて、デイサービスの利用者たちにコーヒーをサービスする役目を戴いた。私はそれまでにコーヒーや台所とあまり縁がなく、慣れない手つきで一生懸命コーヒーを入れた。試行錯誤しながらのコーヒーだったが、利用者たちが、美味しかったありがとう、と素直に感謝してくれるのに感動して、まともなコーヒーを作ろうと決心した。時折各コーヒーショップで試飲するなど、私なりのコーヒー作りが始まった。
 それから、今年で4年目を迎えた。私は感謝することの大切さを身につけ、少しは視野が広くなったような気がする。そして自称コーヒー通になり、利用者たちにコーヒーを美味しく味わってもらうことに、さらに努力しようと思っている。  (O.K.)

多文化子どもケアプロジェクト
 大阪YWCAの国際部リーダー会「多文化子どもケアプロジェクト」のサポーターとして日本語を母国語としないお子さんの学習援助をするようになって半年になります。
学習援助とは言いますが、親の日本語や日本文化の理解度、将来どこに住むのか、子どもの性格、学校の支援度など、たくさんの要素が彼らの学校生活には絡まっており、いわゆる“家庭教師”では十分ではないことを痛感しながら活動しています。
 この活動を通して様々な人と接し、「ことば」がいかに強力で、同時に繊細なものかということも、学ばせてもらっているような気がします。
 これからも、多文化を背景に持つ子どもたちが納得のできるアイデンティティーを作り上げ、日本社会で暮らしていけるようサポートしていきたいと思います。  (K.Y.)

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YWの窓
「私と中国との国際交流」

 私が中国と草の根交流を始めたのは20年前のことだ。当時中国は日本語熱が盛んになりつつあったものの、学習するために必要な経費を出せる国民は少数だったため、「パンダクラブ」という東京の市民団体が、返信用切手を同封して中国人と日本語で文通しようと呼びかけていた。育児に追われ外出がままならなかった私にとって、文通は自宅に居ながらできる身近な国際貢献だった。
子育てが一段落した10年前には、大阪YWCAの里親の会で、中国からの留学生と交流するようになった。10年前の里子と現在の里子の気質や生活ぶりなどの違いは、中国の経済の発展ぶりを物語っている。
 また、私が事務局を担当している「なばり赤目・梅の会」の梅林には中国帰国者が多数訪れている。帰国者を迎えるたび、戦争のつめ跡が続いていることを思い知らされるとともに、平和への願いを強くする。
 私の体験を通しても、この20年間における中国の発展ぶりは驚くばかりである。そして、私にとって随分近い国になった。草の根交流で経験してきた中国の印象と、最近の日中関係の険悪さのギャップがあまりにも大きく、中国本土をこの目で見たいと昨年末にYWCAの友人と上海などを訪れた。マスコミを通じてしか知ることのできなかった中国人は、私たちの隣人であることを確信することができた。
 断片的なマスコミ報道に踊らされることなく、今後も草の根交流を続け、その国に実際に足を運んでみることの大切さを実感している。
(会員)

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男の目
「イヌの寿命、ヒトの寿命」

 愛犬が一昨年17歳で亡くなった。死ぬ3ヵ月前から歩けなくなり、排尿、排便を介助しながら天寿を全うさせた。昔はジステンパーやフィラリア症が原因でイヌは短命であったが、ワクチンや予防薬が開発され、さらにドッグフードの品質改良や処方食の開発、飼育環境の改善などもあり、イヌの寿命はずいぶん延びた。
 イヌは生後3週間くらいで乳歯が生え出し、生後4ヵ月頃から永久歯に生えかわり始め、7ヶ月頃には42本の永久歯がほぼ生えそろう(ヒトでは12歳頃)。おとな(性成熟)になるのも雌ではほぼ1年である。イヌの成長はとても早い。イヌの年齢をヒトになおす「犬の年齢換算表」があるが、イヌの1歳はヒトの17歳、イヌの2歳はヒトでは23歳、以後はヒトの1年をイヌでは4年として計算する。これでいけば愛犬は83歳で亡くなったということになる。
 次のイヌをそろそろという思いがあるのだが、私の余命とこれから飼うイヌの寿命を比較するとイヌのほうが長いのではないか。などと考えるとなかなかイヌを飼う踏ん切りがつかない。戌年の今年、早く決断をしなければもう永遠に我が家にはイヌが来ない気がする昨今である。
(YWCA会員の夫)

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「公益法人制度がかわります」

大阪YWCAと公益法人Q&A

 Q.この頃『公益法人制度改革』という言葉が聞かれますが、YWCAにも関係があるのでしょうか?
 A.おおありです。大阪YWCAは、社会的には財団法人として存在しています。

 Q.法人格って、何ですか?
 A.一定の目的のために集まった人の集団や財産が、法律上の権利義務を行使するためには、法人格が必要になります。社会福祉法人、学校法人などは、それぞれ社会福祉法、学校教育法といった特別の法律で規定されており、公法人と呼びます。株式会社などは営利を目的に組織された法人です。財団法人は、社団法人と共に民法34条の規定により設立が認可されており、この二つをあわせて『公益法人』あるいは俗に『民法法人』とよびます。

 Q.どうして制度改革が必要なんでしょう。
 A.公益法人は、不特定多数の人のために公益性のある活動をすることとされ、税制の優遇措置を受けますが、中には営利企業と同じような活動をしている団体やほぼ休眠状態の法人も多いようです。第一、民法そのものが明治29年に制定されたもので、現行の公益法人制度には問題があるといわれてきました。今回の動きは政府の行政改革の一環で、2008年度中に新しい法律を施行する方向で動いています。

 Q.改革のポイントは?
 A.社団法人・財団法人を廃止して『非営利法人』とし、その中で公益性の高い活動をする法人を『公益認定非営利法人』として税制優遇措置の対象とするようです。ここで問題になるのは、公益性の高い活動とは何か、公益性の判断は誰がするのかということです。
新たな税制についても関心があります。

 Q.大阪YWCAはどうなりますか?
 A.大阪YWCAは、どこから見ても公益性の高い活動を行っているので、問題はないと思われますが、現在の理事会・幹部委員会のほかに評議員会を設置したり、寄付行為ではなく定款を策定したり、対応は迫られます。そして、今まで以上に透明性の高いしっかりした運営を心がけなくてはなりません。政府の動きから目が離せません。

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