大阪YWCA会報(大阪版)

2005年12・1月合併号(抜粋)


<目 次>

[一面]
彼らには泊まる場所がなかった

[二面][三面]
◇支えあう社会を目指す 傾聴への取組み

YWの窓
 「ひろしまを考える旅」

男の目
 「一度きりの人生を」

[四面]
◇只今、研修中 イムクギさんに聞きました

専門学校あれこれ
 「日本語教師“たまご”とFFP」

その他


彼らには泊まる場所がなかった

 「彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。(ルカによる福音書2章6、7節)」
 暗い闇の世界に一筋の救いの光として神から遣わされたイエス・キリスト。2000年の昔、彼はベツレヘムという小さな村の馬小屋で生まれた、と聖書は語っています。馬やらくだに囲まれ、優しげな目をしたマリアの胸に抱かれる赤ん坊。どこか牧歌的で平和的に思えるイエス・キリストの誕生の光景ですが、冷静になって考えてみればこれは全く尋常な光景ではありません。2000年前の話ですから、現代のように設備の整った病院で出産するなどという事はありえなかったでしょうが、それでも馬小屋で出産したり、赤ん坊を馬のえさ箱に寝かす事が一般的であったはずはありません。一体、なぜイエスの母マリアは息子を馬小屋で産むような事になったのでしょうか。冒頭にご紹介した聖書の一節は、最後に次のように締めくくっています。「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」と。
 小さな村ベツレヘムに旅行客が殺到したために、イエスの両親は宿屋に泊まる事ができなかったのです。満員では仕方がありません。しかし、この時、マリアは臨月でした。大きなお腹は十分に目立ったはずです。それなのに、誰も彼女のために自分の部屋を提供する者はいませんでした。誰も彼女に関心をはらわず、誰も彼女の身体の状態を慮りはしなかったのです。誰もが長旅で疲れ、誰もが自分が休息する事にのみ関心を向けていたからです。
 毎年、12月になると街中はイルミネーションで輝き、楽しげな歌声が響き渡ります。クリスマスは楽しい時、喜びの時です。けれども、私達が美酒に酔い、食事を楽しみ、贈り物を贈りあっている、まさにその時に世界の各地では貧困に苦しみ、抑圧に傷つき、戦争で殺されている人々が何万人、何百万人といるのです。イエスが馬小屋で生まれた、いえ「生まれねばならなかった」のは、他者に対する無関心、他者に向けられた愛情の不在が原因でした。私たちはその事をしっかりと心に刻みつけ、誰もが心の底から「メリークリスマス!」と笑顔で声を掛け合える世界を築いていくために、他者への無関心を取り除き、優しさと愛を心の内に持ちたいと思います。
(小林 聖)

 《小林 聖(さとる) プロフィール》
 1966年生まれ。関西学院大学神学部・同大学院卒。
 日本基督教団三崎町教会伝道師、目黒原町教会牧師を経て、現在、豊岡教会(兵庫県)牧師。

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YWの窓
「ひろしまを考える旅」

 8月18日〜21日に、日本YWCA100周年記念国際平和プログラム『ひろしまを考える旅』に参加しました。様々な年齢・国籍の参加者が集まり、講演やワークショップを通して平和について考えました。
 平和記念公園での碑巡りでは、高校生達が案内をしながら家族から聞いた被爆体験を話してくれました。実際に被爆された方からも当時の話を聞くことできました。涙を浮かべながら話される姿に、原爆の残酷さが改めて身にしみました。
 また、フィールドワークでは岩国を巡りました。基地の入口では銃を持った米兵の姿、街中では米ドルで価格が表示されている中古車や、アメリカからの輸入衣料の販売店を見かけました。私は昨年も旅行で岩国訪ねていたのですが、その時は自然が美しい街だという印象だけでした。今回観光旅行では見えなかった岩国の一面を知り、そのギャップの大きさにショックを受けました。
 旅の間には、他の参加者から他国で今起こっている問題について聞いたり、感じたことを話し合ったりする機会がありました。平和な世界を築くにはまだまだ遠い道のりだと思い知らされ、暗い気持ちになりました。同時に、少しでも問題を解決しようと活動している多くの人に出会ったことで、いつか平和が実現すると信じることが大切だとわかり、希望を感じることができました。
(会員)

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男の目
「一度きりの人生を」

 人はいつか必ず死ぬ。一度限りの人生だ。そして私たちは、いつ死ぬであろうか分からない人生を歩んでいる。このことは、まぎれもない真実である。だからこそ私たちは一日一日を大切に生き、悔いのない人生を生きようと努力する。
 この宇宙が誕生して137億年。この地球が誕生して46億年。その長年の月日に比べたら、私たちの命はほんの一瞬の出来事のようだ。けれど私たちは、ほんの一瞬の人生を全力疾走で駆け抜ける。石につまずき、立ち止まる事もあるだろう。
 今私は「死」についてつまずき、立ち止まっている。ふと、考える事がある。
 「死、その先にはどの様な世界が待っているのか」という事だ。生きている者には決して分からないだろう。人々は死を恐れるがゆえに、天国という架空の世界を創り出し、死の恐怖からおのずと逃げてきたのかもしれない。
 私は寝ている状態が一番死に近いと思っている。仮に自分が存在しなくても、社会は何も変化せずに機能する。この世に自分が存在していないこと自体が恐怖なのだ。けれど人は死んでも、人の心の中に生き続けると自分自身に言い聞かせている。そうする事によって、死に対しても希望が見えるからである。
 私たちは今一度真実の死を自ら眼で見つめなければならない。と同時に今この人生を生き切る努力もしなければならないだろう。人生は一度きりなのだから。
(国際部リーダー)

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専門学校あれこれ
「日本語教師“たまご”とFFP」

 私は、ことばによるコミュニケーションや異文化理解への興味から、今年4月、会社勤めの傍ら日本語教師養成講座に通い始めた日本語教師“たまご”だ。5月からはFFPを利用し、国費の中国帰国者である西さん(中国残留孤児二世)・周さん夫妻と交流している。交流の時間は毎週木曜日の午後約1時間半、内容は、私が二人の授業の復習を手伝う他、身の回りの出来事や中国と日本の生活習慣・文化の違いなどについて雑談をする、といったところだ。
 私はまだ教授法を勉強していないため、二人の復習を手伝うと、学習者への実際の教え方や学習者の疑問箇所を垣間見ることができ、非常に勉強になる。
 しかし私にとってFFPの最大の収穫は、自分が日本語教育にどう関わりたいか考えるきっかけを与えてもらえることだ。例えば二人との会話には、楽しい話だけでなく、日本で生活するストレスや不安の話も出てくる。そんな時、日本語が二人と家族の生活を大きく左右している現実に改めて気づかされると同時に、日本語教育能力は教室で学習者に日本語を教える以外の場面でも色々役に立ちそうに感じられ、将来の目標が広がる(何を目指すにせよ、勉強することは果てしなくありそうだ…)。
 以上、FFPが“日本語教師たまご”にもたらす効用を書いてみたが、私は、これらを抜きにしても、朗らかで勉強熱心な西さん・周さんと過ごす時間がとても好きだ。単純に二人と話すのは楽しいし、日本語を話すこと・聞くことに集中しながら、「相手に伝えたい/相手を理解したい」という思いでコミュニケーションを図るという共同作業も気に入っている。 最後に、西さん・周さん、いつもありがとう。そしてこれからもよろしくお願いします!
(日本語教師養成講座受講生)

※FFP(Foreign Friendship Program)・・・外国人と日本人が日本語で交流するプログラム。

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