大阪YWCA会報(大阪版)

2005年8・9月合併号(抜粋)


<目 次>

[一面]
沖縄が語る60年

[二面][三面]
戦後60年 体験を語りつぐ

YWの窓
 「怪談・自衛隊イラク派兵」

男の目
 「お客様の笑顔が喜び」

[四面]
専門学校あれこれ
 ランゲージコース「映画をツールに英語のチカラをアップ!」

ピースアクション2005
 語り継ぐ「九条」―平和を求める私達の言葉―

その他


沖縄が語る60年

 60は人の歳で言えば「還暦」である。時の流れを振り返るに適した時期なのだろうか。沖縄にとって今年は沖縄戦終結から60年、米国の軍政統治終結から33年であり、3米兵による少女強姦事件から10年でもある。
 '95年に起きた少女強姦事件は、その40年前に起きた米軍政下の由美子ちゃん事件を思い出させ、人々は平和憲法下でも変わらない米軍の横暴さに怒り爆発した。そして、女性たちは「心に届け女たちの声ネットワーク」を結成し動き始めた。しかし、9.11が起こり、アフガニスタンやイラク戦争が始まり、米軍政下の時代や沖縄戦争の時を記憶する人々にとっては心身に不調を覚えるこの10年だ。

 沖縄は、'78年、沖縄県立資料館にある言葉「あらゆる戦争を憎み平和な島を建設せねばと思いつづけてきました。これが、あまりにも大きすぎた代償を払って得たゆずることのできない信条なのです」に至る。沖縄戦体験者が戦後33年目にして重い口を開き始め証言を紡いでくれたことによって生まれた信条だ。
 この信条が「普天間基地の大地や空は私たちのもの」と確信する女性たちの、辺野古新基地建設阻止の座り込みや「海の恩、山の恩を忘れてはいけないヨー」(海の恵、山の恵で命を得た)と語るオバーたちの原動力なのだ。

 米軍政下からの解放を「日本復帰」という選択肢で選び取った沖縄。33年目の今、その選択を吟味する論議が生まれ、当時の証言が聴かれ始めている。願いは、基地も核もない沖縄、国の交戦権を認めず陸空海の軍事力を持たない憲法9条を持つ平和憲法下に復帰することだった。日本の平和憲法は「沖縄戦と米軍統治」という大きすぎる代償を払って勝ち取ったものだと思う。沖縄にとっては、押しつけ憲法ではないのだ。

 憲法は民衆の権利や義務の規定と同時に、国家権力の暴走を許さない枷(かせ)でもある。アジア民衆への加害者として、愛するものを失い傷ついた被害者として、戦争の記憶を記録し、戦争に繋がるあらゆることを許さないために、憲法9条を持つ平和憲法の選び直しの闘いがヤマトに住む一人一人に負われていると沖縄からは思える。腹を据えて足下から取り組んで欲しい。それが、沖縄との連帯だ。

 沖縄は日米安保体制のために戦争に直結し、米軍と自衛隊が戦場に飛び立つ前線として使われており、被害と加害を日常的に受け続けている。黒こげた沖縄国際大学の壁と映像で見るイラクの戦場と何ら変わらない戦中だ。戦後として数えられる60年ではない。
 沖縄にとって基地・軍隊が居ない島々を取り戻した時から戦後の歴史は始まる。その事を願いつつ平和のために労苦を共に負っていただきたい。

(又吉京子 沖縄キリスト教センター職員、沖縄YWCA会員)

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戦後60年 体験を語りつぐ

   戦後60年を向かえ「戦後知らない子どもたち」の最年長は60歳、国民のほとんどが戦争を知らない大人となった。
   戦争の悲惨な実体験を、身近な方々から少しでも伺い書き残したいとみのり(会員65歳以上の親睦会)や
   その他の会員の方々からお話を伺った。


 広島駅から4キロ離れた向洋で学徒動員中だった。昭和20年8月6日午前8時15分、工場で点呼が終わった時、閃光が走り、爆発音と爆風に押し出されるように屋外に出た。
 雲柱が立ち、炎の色が入り交じり、茸の傘のように高くむっくりむっくり異様にわき上がっていた。怪我をして逃げて来る人は皮膚がボロ布のように垂れ下がり、寒い寒いと言って泣いていた。7日、爆心地に入市する。防火用水に焼けただれた人が入っていて、炭のように黒こげ白骨になった死体がごろごろしていた。凄まじい光景を目にし、生き地獄とはこのようなことかと死体の中を歩いた。その中で「水を下さい」と言われた人がおられたが、水を与えると死ぬと聞いていたので私は与えなかった。そのことが未だに心の悔いとなっている。
 憲法9条は絶対に守りたい。
(Aさん 1929年生)

 当時女学校の2年生で、学徒動員で大山崎にある工場で落下傘の材料となる絹布つくりをしていた。空襲警報が出るたびに近くの竹やぶに逃げ込んだ。学校には1ヶ月に1回ぐらい行ったが、授業はなく校庭の開墾をさせられた。
(Bさん 1930年生)


 '45年の春、師範学校を出て小学校へ赴任した。集団学童疎開の付き添いで福井県のお寺へ行った。食糧難で子供たちはいつもお腹を空かしていた。午前中は授業をしたが、午後からはイナゴを取ったり、せりを摘んだり、燃料のたきぎ拾いをした。
(Cさん 1925年生)


 空襲で堺の家が焼けお寺にいれてもらった。次の日、焼け残りを探しに行ったら黒焦げになった死体が転がっていた。足元は熱くて歩けなかった。京都の祖母の所へ傘一本でももらおうと思い行った。そして終戦の前日、京阪電車で堺へ帰ろうとしたら天満橋の手前で最後の大阪空襲に遭った。かろうじて生き延び京都へ戻り、翌日の正午、京都駅で天皇の言葉を聞いた。大阪で無条件降伏の号外を見たが、無条件降伏の意味は理解できなかった。当時、私はもちろん堺の空襲で被災し、衣食住皆無の日々だった。
(Dさん 1927年生)


 兄の出陣を見送るためにお茶ノ水駅へ行こうとしたら電車の窓から一面焼け野原になった町が見えた。川に黒くなった死体がたくさん浮いていた。通っていた女子大は爆撃を免れたが、少し離れたところに飛行機を作る工場があり、そこにたくさんの爆弾がおちた。
(Eさん 1923年生)


 昭和20年8月6日、それは私の人生の原点である。
 その日広島女学院の学徒動員での作業中、異様な閃光と風圧に身体が宙に浮いた。不気味なキノコ雲が立ち上がり空全体が赤いモヤに覆われた。ガスタンクの爆発ではと想像し作業に戻った頃、負傷者が工場に運びこまれてきた。皆が一様に裸の状態で皮膚はワカメのようにたれさがり、眼球が飛び出し唇ははれあがっている。続いて歩いてきた人々も同様で負傷者の長蛇の列はさながら地獄絵図であった。工場は救護所になり「水をください」という人々に水を配った。助かる見込みのない重症の人にだけあげるようにとのことだったがその見分けがつかず苦しかった。ひどい悪臭が部屋一杯に充満していた。
 午後遅く帰宅の途についたが、自宅に通じる橋が焼け落ちていて戻れず、まだ燃え続ける炎の海を前に生まれて初めて真剣に祈った。「神様みこころならば助けてください」。その時「天地は過ぎゆかん、されどわが言葉は過ぎゆくことなし」、入学以来苦手だった聖句が鮮やかに頭に浮かび、この日聖書の言葉は生きて私のものになった。
 「水をください」「助けて」という多く人々の断末魔の叫びや、行く手をさえぎる宙に突き出された無数の腕にもどうすることもできず、非情に通り過ぎた私は、己の罪の深さを思い戦後ずっと苦しんできた。
 冷たくなった母親に無心にしがみついている赤ちゃんや子どもの姿があちこちに見られた。最近、親子の間での殺人など人の命を大切にしない事件が後をたたない。あの日死んでいった多くの子どもたちのことを思うと、今はそれが一番悲しく気がかりだ。
 夜、電柱だと思ってまたいでいたのはすべて黒こげの人や馬のカタマリだった。裸で作業していた兵隊さんはカラケシのようになって積み上げられていた。自分の手で家族を焼いた人たちのことを思い出す。教会で「葬儀はどうしますか」ときかれるが、多くの人を置き去りにしてきた自分には、自分の葬儀のことは考えられない。
 教会やYWCAは、多くのことを教えてくれた。自分が被害者だけでなく加害者であるということも。
 夏になるとあの日の臭いが襲ってくる。でもそれはあの日生きたくても声一つ出せなかった多くの人々のメッセージだと思うようになった。
 自分はなぜここにいるのか。
 自分の罪の大きさにこれまで封印してきたものを最近、神様は語るようにしてくださった。そのことに感謝している。戦争はあらゆる悲劇を招く。絶対してはならないことである。
(Fさん 1930年生)

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YWの窓
「怪談・自衛隊イラク派兵」

 世界中に渦巻いた反戦デモを無視してイラク戦争が始まり、日本はそれに賛同した。今、「イラク復興人道支援」と称して自衛隊がサマワに駐留しているが、経費に見合う貢献をしているのだろうか。最近の「憲法9条の会・関西」学習会で、自衛隊派兵につぎ込まれた巨額の税金の話を聴いた。
 '03年〜'04年度計404億円の経費をかけて、イラク、サマワでの給水活動が行われた(05.2終了)。同時期、フランスNGOは、7〜8000万円で一日当り6〜700tの給水活動が出来た。自衛隊の一日80tと比べると、費用効果では4000分の1の非効率。なぜか。
 404億円のうち241億円が自衛隊の装備費用、すなわち派兵の名の下で自衛隊の装備増強に使われた。砂漠用戦車の補強、一着88万円の最新防弾チョッキ、隊員特別日当1.6万円等々。派遣隊員550人中、人道支援120人(内給水活動に30人)、警備に130人、残る300人は司令部ほか隊員の後方支援要員。彼らの警備にさらに外国人軍隊・・・。
 その他国民の税金は、イラク戦費に貢献に1650億円(英国500億円)。米国に次ぐ5500億円の復興資金(対イラクODA5年分)。これらと自衛隊派兵費用合わせると1兆円を超える。一方で米国のイラク戦費は、日本が買い支えている米国債30兆円で賄われ、米国経済が保たれている。
 我々の懐も心も痛むばかりだ。
(会員)

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男の目
「お客様の笑顔が喜び」

 日本国際万国博覧会、愛・地球博が3カ月の折り返しを迎えます。6月末日現在の総入場者数より予測すると、会期中の目標入場者数を大きく上回る公算が大きいと言われています。一度は見学したい国際博、まだの方は話のタネに足を運んでみてはいかがでしょうか。会場は東京ディズニーランドの2倍の広さ、一日で全部回ろうと思わないで、何回かに分けて訪ねた方が良さそうです。
 団体旅行のセールスを本職としている私は、よく、お客様のニーズを聞き○○温泉や○○観光地は如何ですかと答えるが、実際問う側のお客様は行き先よりも何か旅行の理由付けを楽しみながら探しています。春だから花見に!夏だから海や山へ!秋だから紅葉を!冬はカニでも食べに温泉に!
 私は旅行に出かける前にお客様と、話をする時間がとても好きです。皆さん、自分とその相手、そして目的地での楽しい一時を想像してウキウキしています。今、セールスをしながら大型観光バスを運転しています。ミラー越しに写るお客様の笑顔と笑い声は、私にとって最高の喜びです。

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専門学校あれこれ

ランゲージコース
「映画をツールに英語のチカラをアップ!」

 毎週木曜日、午後6時50分から「English with Film〜映画でつける英語力」のクラスは始まります。
 英語を「学ぶ」テキストは一杯あるけれど、「話す」力をつけたい・・・そんな思いを持つ受講生の言葉にこたえるべく、生のコトバを吸収してどんどん使う、映画を材料にしたクラスが今期から新しく始まりました。
 その時々の時代背景、社会、人間性など様々なことを観る人に重層的に伝える力を映画は持っています。シナリオに触れ、映画中のフレーズで会話練習を行い、プロットを追いかけ、ディスカッションをする。英語力がつくのはもちろん、ストーリーに潜むからくりを講師とともに一本ずつ解きほぐす、そんな面白さをこのクラスでは味わえます。
 自分たちで会話を考える場面では、受講生の日々の生活の視点が活かされるので、映画のフレーズを身近に感じられ、会話にも気持ちが入ります。また、受講生曰く「スラング(俗語)をこれだけ学習できる授業は、他の学校にはない」というくらいスラング続出。「英語や英会話に多角的に触れ、シナリオの原語の意味を知ることによって普段自分で映画を見るより感動が大きいのでは」と講師の藤原先生は語ります。
 タームの終わりには、受講生一人一人がお気に入りの映画をプレゼンテーションする機会がもたれます。半年の成果を発揮して、どこまで「観る人」を巻き込めるか、映画との勝負です。 
(職員)

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ピースアクション2005
語り継ぐ「九条」―平和を求める私達の言葉―

7月2日(土) 大阪YWCA本館3階ホール

 7月2日(土)午後、雨の中、103人の方が参加してピ−スアクション2005が開催されました。
 語り継ぐ「九条」〜平和を求める私達の言葉〜をテ−マに玉本英子さんのイラク取材のお話とスライド。内海淳子・かよさんという美しい母娘のアルパ演奏。そして、石橋理絵さんの紙芝居と力の入った語り。川畑幸子さんの朗読「生ましめんかな」。盛りだくさんの内容で、すべてのプログラムに引き込まれ聞き入ってしまいました。
 5人の20歳代から70歳代の方たちのピースメッセーを語っていただきました。
 その後、4つのブースに分かれ、一人一人の平和への言葉を短冊やうちわ、ボード、缶バッチに書き込みました。
 この想いが子や孫に語り継がれることを願いつつ、世界女性行進in大阪へ合流しました。行進では600人余りが新町北公園から難波まで歩き、九条の大切さをアピ−ルしました。
(ピースアクション実行委員)

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