大阪YWCA会報(大阪版)

2005年7月号(抜粋)


<目 次>

[一面]
不安と恐怖の中に生きるイラクの人々

[二面][三面]
◇憲法9条が危ない

YWの窓
 「津波後のスリランカで」

男の目
 「人間の寿命について」

[四面]
中国帰国者支援・交流センター
 「門真教室」開設

青少年部プログラム
 「ライ麦ノート」

その他


不安と恐怖のなかに生きるイラクの人びと

 イラクでは、昨年から急速に治安が悪化した。米軍と武装勢力との戦闘、自爆攻撃があいつぎ、民間人の犠牲者があいついでいる。
 イラク北部アルビルにあるジャワヘリ小学校は、この1年で児童数が倍になった。ほとんどが、バグダッドやモスルからの転入生だ。
 窓の外をじっと見つめながら、ハディールちゃん(11)は言った。「外に出るのが怖い」。彼女と家族は去年12月にバクダッドからアルビルへ移住してきた。イラクでは、子供たちを狙った身代金目的の誘拐事件が多発している。このため、比較的治安の安定した町に避難する「国内避難民」が急増しているのだ。休み時間になると廊下ではしゃぎ回る児童たち。「元気に見えますが、心に深い傷を負っています」と校長先生は語る。
 1月にモスルから移住してきたヘミン君(8)は、父親を武装勢力に殺害された。昨年の11月、武装勢力と米軍との戦闘で自宅が破壊され、その後、米軍が自宅の修理費を払いに来たことがあった。その時、武装勢力に米軍の協力者と思われたのではないか、と母親は話す。「お父さんはなにか悪いことをしたの」。父親の写真を手にヘミン君はうつむく。警察は、自分たちも狙われるため、捜査すらしてくれない。
 治安が確保されていたはずのアルビルも、安全ではなくなった。5月4日、アルビル市の中心部で自爆攻撃が起きた。警察官採用予備面接の会場に集まった若者ら50人以上が亡くなった。
 犯行声明をだしたのは、アンサール・スンナ軍。「自爆はイラク国外から来たアラブ人によるもの」という見方を治安当局は発表した。
 4月28日のジャファリ政権発足後、1ヶ月近くで400人以上のイラク人が自爆攻撃や戦闘に巻き込まれて死んだ。武装勢力は、「聖戦」を確信する組織中枢メンバーのもとに、イラク国外のアラブ人義勇兵が加わり、自爆を敢行する。失業中の貧しいイラク人が、「生活のため」と、わずかな報酬で爆弾を置くこともある。
 「こんな状態が続けば、誇りも復興も失われる」市民の多くがそう感じはじめている。
 アメリカによる「イラク戦争終結宣言」から2年。しかし、混乱は続いている。どうすればイラクに平和が戻るのか、私の問いにほとんどの人びとは「時間がたつこと」と答えるだけだ。それが1年後なのか、2年後なのか。先の見えない不安と爆弾や誘拐の恐怖。怒りと悲しみを、どこにもっていけばいいのか、人々はわからないでいる。
(アジアプレス大阪所属 玉本英子)

7月号目次に戻る


YWの窓
「津波後のスリランカで」

 今年4月、スリランカに行ってきた。津波後、3ヶ月が過ぎ、道路や海岸線はすっかり整備されていた。被害の状況は、報道されていた通りで、津波ですべて物が一瞬して流され、海辺には何も残っていなかった。肉親を失い、悲しみに暮れる被災地の人と話をする度、何もできない自分が、何故ここにきたのかを自問自答した。そんな時、一人のお母さんが、「遠い日本の人が、私たちのことを思ってくれるだけで嬉しいのよ」と明るく答えてくれた。そして、「海水が一気に流れ込んだせいで、ココナッツの味がまずくなったけど、どうぞ」とココナッツジュースをご馳走してくれた。
 スリランカでは、何十年か前にも、津波が来て多くの人が犠牲になったそうだ。災害は忘れたころにやってくる、そんな教訓について話していた。また、「自分たちが環境を破壊し、海を汚したから、神様がまた怒ったにちがいない」と。私は、自分がしていること、日本がしていることを考え、落ち込んでしまった。
 また、今回は、スリランカYWCAにも訪問することができた。「世界会員日」だったこともあり、地域Yの会員も集っていた。皆「パワー」に満ち溢れていた。津波後すぐ、支援を開始したそうだ。このパワーが必要だ。自分も落ち込んではいられない。できることは、山ほどある。そんな元気をもらった。
(職員)

7月号目次に戻る


男の目
「人間の寿命について」

 私は今年で89才になりました。11年前に前立腺ガンの開腹手術を受けましたが、未だに再発する形跡がありません。人間の寿命は遺伝子が25%環境が25%生き方が50%と云われております。私は昭和25年8月ソ連国境で約200人の兵を連れてソ軍の捕虜となり、零下30度という寒さの中で重労働に従事したが、不思議に生還することが出来ました。
 復員後は国家公務員として勤務しましたが、最後の10年間は家族と離れて自炊生活を続けました。大した病気もせず、退官後も前述の病気以外はしたことなく現在に至っています。小生山歩きが好きで在官中は北海道から九州方面の山々をよく歩いたものです。神戸には六甲山麓で毎朝ラジオ体操をする会があり、小生も近くの体操界で毎朝ラジオ体操(1万余回)と詩吟をしております。矢張り生活のリズムが健康の元と考えます。今でも週1回はリックをかついで六甲山を歩いています。

7月号目次に戻る


近畿中国帰国者支援・交流センター
「門真教室」開設

 厚生労働省の委託を受け、大阪YWCAが『近畿中国帰国者支援・交流センター』を開設して4年目を迎えた2004年秋、新たな試みが始まりました。より積極的な帰国者への日本語学習機会の提供を目指し、大阪府下の帰国者集住地域の一つである門真市に日本語クラスを開講しました。当初2クラスでスタートしましたが、2005年6月からは、受講生の増加にともない、3クラスを開講することとなりました。現在も毎週新たな受講希望者を迎えています。
 現在、門真教室には、来日1〜11年(平均6年)の方々が日本語の勉強をしています。全般的に「正確な発話ができない」「読む・書くが苦手」という傾向があります。受講生に話しを聞くと、「日本に来てすぐ働き始め、今まで日本語を勉強したことがない」「どこで勉強すればいいのか知らなかった」「仕事があるため、平日の日本語クラスには参加できなかった」「職場で日本語を使う機会がない」とのことでした。こうした環境にあった受講生からは、「門真教室」での日本語学習のチャンスを生かそうとする熱意が、私たち職員、講師にも伝わってきます。そして、この受講生自らが発する熱意が、「門真教室」に新たな受講生を呼び込む引力になっているようです。
 今後は教室内の学習だけでなく、校外学習、地域交流活動など、帰国者の人々がより多くの情報に触れる機会作りにも取り組んでいく予定です。 
(職員)

7月号目次に戻る


青少年部プログラム
ライ麦ノート

 ライ麦ノート(月一回のディプログラム)という青少年(12才〜18才)を対象にした企画が持ち上がったのが、今から2年前の12月頃でした。
 企画立ち上げ当時から今日に至るまで、私達が目的としてきた事は『生きる力を培う』という事です。
 その目的をクリアしていく為に、心を許せてのびのびとできる事と、新しい何かに挑戦できる事という2つの機能を持った場づくりが必要だと考えました。
 なぜならのびのびすることで力を蓄え、心を許せる事で場(他者)を信頼して、間違いを先に気にせずとも色々なことに挑戦できるようになる。その結果が自身の糧になり、自信をつける事にも繋がり、結果として『生きる力を培う』事になるからである。
 その様な目的をつくり、不登校になっているこどもや、青少年部のキャンプに参加しているこどもをイメージして企画を立てていました。
 しかし実際に始まってみると不登校をしているこどもは集まる事はなく、青少年部のキャンプに参加しているこどもや、養護学校に通っているこども達でライ麦ノートは進んできました。そして去年1年は中学校1年生〜高校2年生のメンバーが、常時5名〜8名程度集まりました。
 ライ麦ノートの基本的なスタンスとして、何かを提示するより引き出す事を大切にしています。その結果メンバーも自発的に動き、メンバーもスタッフものびのびできる場づくりはできてきたと思っています。今年度は前年度の基盤の上で、一人一人が新しい事に挑戦していくように、活動を展開していきたいと強く思っています。
(青少年部)

7月号目次に戻る


大阪版広告主 募集中!!


大阪YWCAの広報誌‘大阪版’では、発行を支えてくださる広告主になってくださる方を募集しています。
連絡先:大阪YWCA
     〒530-0026 大阪市北区神山町11-12
      TEL:06-6361-0838  FAX:06-6361-2997
      担当:木下