不安と恐怖のなかに生きるイラクの人びと
イラクでは、昨年から急速に治安が悪化した。米軍と武装勢力との戦闘、自爆攻撃があいつぎ、民間人の犠牲者があいついでいる。
イラク北部アルビルにあるジャワヘリ小学校は、この1年で児童数が倍になった。ほとんどが、バグダッドやモスルからの転入生だ。
窓の外をじっと見つめながら、ハディールちゃん(11)は言った。「外に出るのが怖い」。彼女と家族は去年12月にバクダッドからアルビルへ移住してきた。イラクでは、子供たちを狙った身代金目的の誘拐事件が多発している。このため、比較的治安の安定した町に避難する「国内避難民」が急増しているのだ。休み時間になると廊下ではしゃぎ回る児童たち。「元気に見えますが、心に深い傷を負っています」と校長先生は語る。
1月にモスルから移住してきたヘミン君(8)は、父親を武装勢力に殺害された。昨年の11月、武装勢力と米軍との戦闘で自宅が破壊され、その後、米軍が自宅の修理費を払いに来たことがあった。その時、武装勢力に米軍の協力者と思われたのではないか、と母親は話す。「お父さんはなにか悪いことをしたの」。父親の写真を手にヘミン君はうつむく。警察は、自分たちも狙われるため、捜査すらしてくれない。
治安が確保されていたはずのアルビルも、安全ではなくなった。5月4日、アルビル市の中心部で自爆攻撃が起きた。警察官採用予備面接の会場に集まった若者ら50人以上が亡くなった。
犯行声明をだしたのは、アンサール・スンナ軍。「自爆はイラク国外から来たアラブ人によるもの」という見方を治安当局は発表した。
4月28日のジャファリ政権発足後、1ヶ月近くで400人以上のイラク人が自爆攻撃や戦闘に巻き込まれて死んだ。武装勢力は、「聖戦」を確信する組織中枢メンバーのもとに、イラク国外のアラブ人義勇兵が加わり、自爆を敢行する。失業中の貧しいイラク人が、「生活のため」と、わずかな報酬で爆弾を置くこともある。
「こんな状態が続けば、誇りも復興も失われる」市民の多くがそう感じはじめている。
アメリカによる「イラク戦争終結宣言」から2年。しかし、混乱は続いている。どうすればイラクに平和が戻るのか、私の問いにほとんどの人びとは「時間がたつこと」と答えるだけだ。それが1年後なのか、2年後なのか。先の見えない不安と爆弾や誘拐の恐怖。怒りと悲しみを、どこにもっていけばいいのか、人々はわからないでいる。
(アジアプレス大阪所属 玉本英子)
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