大阪YWCA会報(大阪版)

2004年11月号(抜粋)


<目 次>

[一面]
大阪YWCAの日本語教育
 奥西 峻介

[二面][三面]
15周年を迎える“日本語教師会”

YWの窓
 「ピースツアーinひろしまに参加して」

男の目
 「絵番付(えばんづけ)」

[四面]
会員活動
 「ちいさな活動 大きな働き」

その他



大阪YWCAの日本語教育

 大阪YWCAが日本語教育に関わりだしたのは大阪万博の頃だったのではないかと思う。まだ、木造の建物のころであった。その面影は、現在のロビーの椅子に偲ばれる。
 当時は、経済的に自立した女性が少なかった。女性の社会進出の条件が十分に整備されてなかったからである。そんな日本に万博によって国際化が押し寄せた。
 女性(ないし弱者)の社会進出の支援はYWCAの重要な活動の一つである。そのような目的と社会の国際化という情況が合体したのが、色んな意味で優秀な日本語教師の養成であった。そこには、YWCAが長年、英会話教育などで培ってきた教育の良心も反映されている。
 それから十年ほどして、日本語ブームが来た。各地に雨後の筍のように、日本語教師養成の機関や教室が出現した。それは時代や社会の要請に応じたものである。しかし、YWCAのそれは、自らの信念の下に出来たものだから、自ずと本質を異にするところがあった。
 その顕現の一つが、日本語教育の実践である。教師を養成するだけでなく、来日した外国人に誠実な日本語教育を提供しようとした。その精神の一端は、独自の経済的支援制度にも明らかである。学習者は、必ずしも裕福ではない。将来を日本留学に託して苦学する者も多い。そのような学生からも授業料を徴収するのは、不可避だが、同時にその支援のために、社会の善意に頼ることにした。関西の企業を回って奨学金を募ったのである。浄財を募ることは、言うまでもなく、自ら寄附することよりも努力を要する。
 今一つは、日本語教師会の結成である。単に教師を養成するだけでなく、教育を必要とする者と教師を志す者を繋ぐ奉仕を志した。教師会を通じて、世界に飛躍していった教師も少なくない。また、教師会によって優れた教育を受けられるようになった組織や個人も多い。
 日本語教育は、社会の状況に左右され、時代の寵児になったこともあれば、衰退の憂き目を見たこともあった。その中で、YWCAの日本語教育が変らず着実に進んで来られたのは、出発時の理念を愚直とも思えるほど守ってきた結果だと思うのである。
(奥西 峻介/大阪外国語大学留学生日本語教育センター長)

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15周年を迎える“日本語教師会”

大阪YWCAには「日本語教師会」という他に類を見ない活動がある。
今年発足15周年を迎えたが、設立のいきさつや詳しい活動について関係者に話を聞いた。

 

Q.誕生のきっかけは?
谷川:
高い評価を得ていた日本語教師養成講座の修了生に働きの場を提供したいという思いと、外部から教師の要請があった時に、すぐに対応できるシステムがあればいいということがきっかけです。加えて、日本語教師の研修とレベルアップの場をつくり、少し大げさに言えば日本語教育界全体の資質向上を目指したいという思いが込められていました。

Q.設立当初の苦労は?
谷川:
他に前例がないため、YWCA内部の日本語の関係者や現職の先生方に、教師会の新たなシステムや方法について理解し、協力していただくのに時間がかかりました。教師会全体の構築については、専門家として大阪外国語大学の先生方に特にお世話になりました。

Q.当初の活動は?
清島:
90年から4年間、専任講師として教師会の仕事をしました。それまでは自分が教えるコースしか見えていませんでしたが、初めて全体を見渡すことができるようになりました。初級の教案作りの講習会を開いたり、教え方ビデ オ鑑賞会をしたり、日本語教 師としていろいろな苦労話をする会をもったり、とにかく手探りで始めました。92年からYWCAで初めて教える人を対象にした新人研修を始めました。また93年に初めて八尾市から日本語を教えるボランティアのための研修に講師依頼があり、今までの知識を総動員してカリキュラムをつくり、出張講義をした記憶があります。そのころ、留・就学生だけでなく、一般外国人の学習者が増えてきたので、そのニーズに応えられるような教材づくりをしながら、週3回朝だけのコースを始めました。それが発展して現在のモーニングコースになっています。

Q.現在の教師会の活動は?
岡本:
清島先生の後を引き継いで、94年から教師会の専任講師をしています。清島先生が、基礎固めをして下さったので、その上に何ができるかを考えました。今では八尾市を始め近畿一円のたくさんの自治体から日本語を教えるボランティアのための講師派遣の要請を受けていますが、研究プロジェクトをつくってYWCA独自のボランティア研修講座向けカリキュラムをまとめました。最近は、YWCAで教える以外にいろいろな機関や企業、大学からも仕事の依頼が来ますが、教師会会員の特徴をつかみ、できるだけ適材適所に教師を派遣するよう心がけています。また日頃の成果を広く内外に知らせるため、学会での研究発表や、テキスト、教材の出版もしています。それが、結果として大阪YWCA日本語教師会の名前を高めることになればいいと思っています。

Q.教材開発についてもう少し詳しくお教えください。
岡本:
過去にもテキストの開発・研究は絶えず行われていましたが、内部で使っていただけでした。外部に向けて出版したのは、93年に清島先生たちが作った一般外国人のための教材「シモンズさんのにほんごではなしたい」が最初です。その後、関西(大阪) 弁の聴解教材「聞いておぼえる関西(大阪)弁入門」、地域の日本語教育ハンドブック「ボランティアで日本語を教える」をそれぞれ(株)アルクから出版しました。その後、長らくの研究を経て出版した「くらべてわかる日本語表現文型ノート」もおかげさまで好評です。現在も教材開発は地道に行われており、来年2月に日本語能力試験対策の教材出版を予定しています。

Q.教師会の様々な活動の陰には、それを支える職員のご苦労もあるでしょう。担当職員として心がけておられることは?
藤原:
事務的なことは表には見えないですが、いろいろな活動に何も支障が起こらず、 スムーズにことが運ぶよう気 を配っています。うまくいって当たり前という状況にするのが役目かなと思っています。

Q.最後に、日本語教師会の将来はいかがでしょうか?
岡本:
単に日本語を教えるだけの仕事に留まっていては、ここまで充実してこなかったと思います。常に情報を集めて世の中の1歩、2歩先を進むことを心がけてきました。これからも常に新しいことにチャレンジし続けたいと思っ ていますし、また夢を実現で きるところでもあると感じて います。願わくばやる気のある教師の方々の積極的な参加を期待したいですね。
谷川:大阪YWCAには、教師会だけでなく、質の高い日本語教師養成講座があり、日本 語教育では01年から中国帰国者の方々のための支援センターも加わって、ますます多様になりました。また、日本語学習者を側面から支えるYWCAの会員による活動もあります。これからが有機的につながりあって、総合的・包括的な日本語教育事業になっていると思います。この強味をいかして、教師会ではこれからも新たな仕事を開拓しながら、それを社会に向けてどんどん発信していくことができればと考えています。

(聞き手:大阪版委員会)

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YWの窓
「ピースツアーin ひろしま に参加して」

 9月12日朝、中学校の修学旅行以来訪れていなかった原爆ドームの前で、広島YWCA「碑めぐりの会」の方々とお会いしました。この日は真夏のように日差しが強く蒸し暑い日で、59年前の8月8日のことを一層強く思い起こさせました。
 平和記念公園の中にあるたくさんの慰霊碑。1つ1つの碑に、語り尽くせないほどの悲しい出来事が語られました。当時は下町のにぎやかな地域であったこの土地で、都市の地形や大きさが原爆の破壊力を実験するのに適当だったというねらい通り、推定14万人の人が犠牲となったのです。印象的だった記念碑の1つ「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」は、最初は公園の外に建てられたそうです。「日本人は、自分たちが被害者であることばかりを強調する。」と批判され、公園内に移動したそうです。
 碑めぐりの次に、証言者の方にお話をお聞きしました。原爆による死を免れた人が、こんなにも罪の意識を背負って生きていらっしゃることがショックでした。「原爆投下直後、川には水面が見えないほど、たくさんのふくれあがった死体が浮いていた。当時のことを思い出すと、時々、夜うなされます。」など、本当に信じられないような光景を、涙ながらに語ってくださいました。でもそれが、現実に起こったことなのです。
 「戦争」の結果生まれた「個々の悲しみ」は、怒ることもなく悲しみのまま。この悲しみをずっしりと受け止めて、「戦争」や「平和」について考えていきたいと思います。
(会員)

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男の目
「絵番付(えばんづけ)」

 先日、思いもかけず、徳川五代綱吉の生母桂昌院の寄進による春日大社の桂昌殿の解体修理現場を、奈良のM先生のご好意で見せて頂いた。1699年(元禄12年)のものである。
 この写真は建物の木負い(きおい)に残った絵番付の1つである。番付というのは部材の組合せや組立位置を示す符号で、文字や数字や記号や絵が使われるのをいう。
 私はこの絵に魅入られた。職人さんの無骨な掌から生まれた豊かな線描。戦(いくさ)がなくて今に残った江戸期のしあわせが、300年の年月を越えて、描き手と私とを結びつけてくれた。『うまいね、楽しい絵だこと。あなた年はお幾つ、お子さんは、くらしむきはどう、辛い苦しい・・・』と夢の会話が時の流れに湧き出てきた。
 ところで、今の私達は、身も心も機械化に責め立てられて、人工の大きさ高さにうつつを抜かしている。せめて、先人から承け伝えたこの絵のような木の文化を、300年の後まで、伝えていきたいものである。私達民族の培ってきた木の文化の誇りにかけて。

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会員活動
「ちいさな活動 大きな働き」

大阪YWCA千里では'71年以来、医療機関を影で支える活動が静かに続けられています。
地味ながら社会貢献が大きいその活動をご紹介します。

 綿球ボランティア

毎月第一、第三水曜日の午後シャロン千里の一室でにぎやかに綿球作りが始まります
淀川キリスト教病院で手術の時に使う大切な綿球ですから手先は真剣ですが顔はほころびっぱなしで楽しいおしゃべりが夕方まで続きます。
現在は15人で活動していますが、ある時期はたった一人になって止めようと思った時もありましたが灯火は一度消えるとなかなかつきがたいと教えていただいて続けさせていただいております。いつの間にか三十年余りの月日が過ぎ去りました。
病人の方々の御全快を心で祈りながら、これからも励んで参りたいと思います。
(会員)

 清拭布ボランティア
清拭布とは、身体の不自由な方の排泄後、介助者が拭き取り用に使う布です。15p四方の型紙に合わせて、皆さんから届けられた綿布(使い古したシーツ、下着等)を切ります。手を動かしながら、豊富な話題のおしゃべりにも集中して楽しく価値ある時を過ごしています。参加者の半数はシャロン千里ケアハウスにご入居の方達です。
 活動状況(2004〜4月〜9月、全5回)
・清拭布20.9s(約2100枚)
・参加者 55名(延人数)
・届け先 刀根山病院・シャロン千里デイサービス

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      担当:木下